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2019年02月04日11:44

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北森嘉蔵の『神の痛みの神学』について

日本を代表する神学者の一人に北森嘉蔵が挙げられる。北森嘉蔵の主著というべき『神の痛みの神学』はキリスト教徒以外の人々に多く読まれ、またなんか極語にも翻訳されている。『神の痛みの神学』は日本を代表する神学書の一冊と言ってもいいだろう。

わたしが北森嘉蔵の『神の痛みの神学』を初めて読んだのはいつだっただろうか。

�狄世猟砲澂瓩箸蓮崋腓い劼燭泙侫┘侫薀ぅ爐浪羂Δ垢襪箸海蹐了勹戮屬箸海蹐了劼覆蕕困箍翦爐砲爐�ひてかたるごとに彼を念はざるを得ず是をもて我膓(はらわた)かれの爲に痛む我必ず彼を恤むべし」(エレミヤ書31:20)からきており、�狄世猟砲澂瓩箸蓮⊃世�自らの愛に反逆し、神にとって滅ぼすべき対象になった罪人に対して、神がその怒りを自らが負い、なお罪人を愛そうとする神の愛を意味する。さばきの神と赦しの神が同一の神であるとき、罪人に対する愛と赦しは神の矛盾と葛藤すなわち、「痛み」なしにはありえないとされる。 つまり、十字架の愛は、人間の反逆により怒りと化した直接的な愛と異なる愛で、神の痛みに基づいた愛であるとされるのである。

北森嘉蔵の�狄世猟砲澆箸靴討凌世琉Ν瓩法△錣燭靴論湘調�多郎の�狎簑侈気箸靴討凌性瓩鮓�出したのである。

ただ、この北森嘉蔵の『神の痛みの神学』も今回の引越で古本屋の売ってしまったのであるが、教文館から刊行されている『神の痛みの神学』を買ってみようと思っている。この本には、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』以外に、倉松功著「『神の痛みの神学』の歴史的意義」や高柳俊一著「『神の痛みの神学』と二十一世紀神学の可能性」、さらに北森嘉蔵の「キリストに於ける神の認識」も収められている。

わたしは、西田幾多郎が『場所的論理と宗教的世界観』において「新しいキリスト教的世界は、内在的超越のキリストによって開かれるかも知れない。……(略)……今日の世界史的立場に立って、仏教から新しい時代へ貢献すべきものがないであろうか。」と論じていることにずっと注目している。このような観点から北森嘉蔵の『神の痛みの神学』を考え直してみたいと思っている。

わたしがまだ大谷大学短期大学部仏教科の学生であった頃に疑問に思った、歎異抄第一条の「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて」という書き出しの�猝鐶砲寮栖雖瓩箸いΩ斥佞琉嫐�も深く考えられるように思えるのである。
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