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2019年01月27日12:41

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父の自慢の一品

昨日、父の四十九日法要が営われた部屋に小さな額に入った証書が目についた。

その証書は、父が旧士族の末枝であるという証書である。戦前、日本政府は、旧士族の末枝には、そのような証書を発行し、幾何かの恩給も支給していたという話を父から聞かされたことがある。

父はよく、
「うちの家は、由比町で唯一の士族の家だった」
と、自慢げに話していたことを思い出した。

父は、静岡県庵原郡由比の出身である。今は出岡市清水区となっているが、わたしにとっても�狎轍�県庵原郡由比�瓩箸いγ鰐召�懐かしく思える。

その由比で唯一の士族の家であったという。わたしがまだ子供だった頃、静岡にある父の実家に帰ると、�爐汗菫塚佑牢鰻海�西から攻めあがってくるというのを聞いて、静岡に逃げて来た�瓩箸いο辰鮟派磴燭舛�らよく聞かされたものであるが、しかし�犂鰻海�西から攻めあがってきたから�瓩噺世辰董△修鵑覆亡蔽韻防雹里�逃げ出すことはできない。逃げ出すということは�狠θ溶音劉瓩砲覆襪海箸任△蝓�当時は脱藩した本人だけが罪に問われるわけではなく、その家族、親類縁者にもその罪が問われるということであった。

明治政府の世になる前は、人には�牋椽擦亮�由�瓩呂覆�った。これは士族から農民に至るまで�牋椽擦亮�由�瓩惑Г瓩蕕譴討い覆�ったのである。だからこの地に生まれたら、死ぬまでその地を離れることは許されなかった。それが幕藩体制下における人々の生活の基本であった。だから�犂鰻海�西から攻めあがってくるから�瓩噺世辰董△修Υ蔽韻帽掌佑鯲イ譴襪海箸狼�されなかったはずである。

明治政府は、徳川慶喜に対して�狃找榔5鎰瓩鯡燭犬燭海箸�ある。その徳多くの幕臣たちが慶喜とともに駿河に移住したという話は有名であるが、わたしのご先祖様もその時の幕臣の一人だったのではないかと推察することができる。

わたしは一度、亡くなった父の一番上の兄(わたしにとっては伯父)にご先祖様が腰に差していた刀を見せてもらったことがある。竿と刀の鍔に家紋が入った刀で、とても重かったことを覚えている。時代劇でよく刀を振り上げるシーンがあるが、そんな思いものをどうやって振り上げることができるのかと思ったことを覚えている。そのご先祖様の刀を見たのは、わたしと本家の従兄、そして伯父の三人だけである。いつもはその刀は押しれを奥にしまわれているという。

ご先祖様がどのような経緯で静岡県庵原郡由比にたどり着いたのかは、よく知らない。それは父も同じであろう。しかしそのご先祖様が武士であって、父は士族の末枝であるということを、あの小さな証書は物語っているのである。そしてそれが父にとっての最大にして唯一の自慢の一品だったように思える。
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