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2019年01月11日12:33

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純粋に�狷�本的な文学�瓩箸蓮�


川端にノーベル賞、評価曲折 新公開の選考資料から
 川端康成かマルローかオーデンか。はたまた川端か谷崎か三島か――。現代の我々ですら頭を抱え込む難題に、50年前のスウェーデン・アカデミーは悪戦苦闘していた。川端が1968年にノーベル文学賞を受けてから50年が過ぎ、新たに公開された選考資料からは、遠い異国の文学を評価しようと苦心する姿が見えてくる。
 ■61年、三島が推薦状/D・キーン「期待は谷崎」
 ノーベル文学賞は発表から50年間、候補者の名前や選考過程が非公開とされている。川端を選んだ68年の選考資料が、ストックホルムのスウェーデン・アカデミーで今月2日、初めて公開された。
 今回公開された資料は、ノーベル委員会の評価をまとめたもの。ノーベル委員会はスウェーデン・アカデミー内に置く作業部会で、数十人の候補者リストから最終候補を5人ほどにしぼり、アカデミーに評価を提出する機関だ。同委員会の評価をもとにアカデミー会員が議論と投票を行い、受賞者を決める。つまり、委員会の評価や判断が受賞を左右するとも言える。
 資料によると、当時のノーベル委員会のアンダーシュ・エステルリング委員長は「1、アンドレ・マルロー 2、W・H・オーデン 3、川端康成 サミュエル・ベケットには賛成しかねる」と順位をつけてアカデミーに評価を報告していた。川端への言及は「昨年までの検討を参照してほしい。私は彼が日本文学を真に代表すると認めている」にとどまっている。
 その後、アカデミー会員の投票で順位は変動し、川端が賞を射止めた。アカデミーの議論や投票は記録が明かされていないため、逆転劇の詳細はわからない。
 川端が初めて候補になったのは61年。ほかに谷崎潤一郎、西脇順三郎、63年以降は三島由紀夫の名前が候補に入っていた。
 アカデミーには、判断がつかなかったのだろう。65年には日本の文学者や図書館司書、ジャーナリストら10人に聞き取りをした結果、「川端は日本的で、谷崎は世界的」「谷崎の小説は読者を引き付ける力が強い。川端は谷崎に比べて難しい」「川端は日本の悲しみを表現している」と川端と谷崎で評価は拮抗(きっこう)していた。
 日本からの働きかけもあった。61年に三島が、日本ペンクラブを通じて川端をノーベル賞に推薦する手紙をアカデミーに送っていた。後にライバル関係となる三島だが、「川端さんの作品には人間性の深さに気づかせる繊細さと優雅さがある」「ノーベル賞にふさわしいのは川端さん以外にいない。彼を推薦できることを誇りに思う」と書いている。
 日本文学者のドナルド・キーンさんは63年、委員会から評価を求められ、「谷崎が最も値する。日本人が期待しているのも谷崎だ」「三島は素晴らしい作家だが40歳弱で若い。彼が2人を飛び越えて選ばれると日本人は奇妙な思いを抱くだろう」と谷崎の名を挙げていた。しかし谷崎は65年に死去。ノーベル賞の対象から外れる。
 66年には作家の伊藤整が「絵画の歌麿、広重のように、川端は日本の古典文学を受け継ぎ、伝統的な精神と人生観、鋭い観察眼が融合している」「谷崎の死後、日本文学の代表者として唯一推薦できる作家は川端である」とした文書を同委員会に渡していた。当時の欧州の浮世絵人気を思えば、伊藤の言葉が決定打になったと推測できる。
 現在のアカデミーのアンデルス・オルソン事務局長は「ノーベル賞の選考には批判や苦情もままあるが、川端の受賞時には批判は全くなかったと聞いている」と話した。
 ■今後は「女性作家読む」「グローバルに」 アカデミー新事務局長
 選考関係者のスキャンダルによって、2018年のノーベル文学賞は発表見送りという異例の事態になった。今秋の発表はどうなるのか。オルソン事務局長に見通しを聞いた。
 オルソン氏は文学史専門の研究者で作家。アカデミーの混乱から当時のサラ・ダニウス事務局長の辞任を受けて、昨年6月に事務局長になった。アカデミーには08年から在籍する。
 18年の受賞者については、「ノーベル委員会が最終候補5人にしぼった段階で、止まっている。候補の5人はそのまま。そこから18年の受賞者を今年10月に投票して決める。今年の受賞者と18年の受賞者を同時に発表する」と話す。「最初の一歩は、改革や新しいメンバーを今月末にノーベル財団に報告すること。おそらく了承が得られると思う。これで十分だとは思っていない。秋に向けて信頼回復に努めていく」
 アカデミーの問題を公にする後押しとなった「#MeToo」の動きは選考に影響を与えないというが、男女のバランスは気にしていた。「推薦段階から女性が少なく、リストでも女性は限られていた。我々も女性作家の本を読むようにしていく」。出身地については「よりグローバルにしたい。アフリカの受賞者が少ないし、アラビア語圏にも目配りしたい」と話す。また「小説に限らず、エッセーなどジャンルも広げていきたい」とも。質問を重ねようとすると「守秘義務があるからね!」と笑って答えを避けた。
 スキャンダルの果てに、18年の受賞を今秋告げられる作家はどう思うだろうか。「恥じ入るようなら悲しいが、我々ができることは、18年の賞も価値は変わらないと思ってもらえるように努めるだけ。喜んで受け止めてほしい」と言い、「賞金は半分にはならないので」と付け加えた。
 (中村真理子)
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上記は、今朝の朝日新聞《文化・文芸》欄に掲載された「川端にノーベル賞、評価曲折 新公開の選考資料から」という記事の全文である。

わたしは、高校生の頃、梶井基次郎のような�狠司垪邁鉢瓩砲覆蠅燭い函�何篇かの小説を書いていた時期がある。そして梶井基次郎とともに、川端康成や谷崎潤一郎の小説も読んだりしていた。

上記に記事のなかで、わたしが注目したのは、次のような一文である。

�爛▲�デミーには、判断がつかなかったのだろう。65年には日本の文学者や図書館司書、ジャーナリストら10人に聞き取りをした結果、「川端は日本的で、谷崎は世界的」「谷崎の小説は読者を引き付ける力が強い。川端は谷崎に比べて難しい」「川端は日本の悲しみを表現している」と川端と谷崎で評価は拮抗(きっこう)していた。��

川端康成がノーヘル文学賞を受賞したとき、日本人で最初にノーベル文学賞を受賞すべき作家は、谷崎潤一郎だという声があったことを覚えている。まずは、谷崎潤一郎が受賞し、次が川端康成、そしてその月が三島由紀夫という順番になるはずだった。

しかしノーベル文学賞の順番が日本の作家に回ってきたとき、谷崎潤一郎はすでに亡くなっており、川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞することになったということがよく語られていた。

恩師・原野栄二先生は、谷崎潤一郎にも川端康成にも面識のあったらしく、谷崎潤一郎は�狢膺佑辰櫃た有瓩任△辰燭里紡个靴董∪鄰執�成は�犂餔曚別槊呂�あった人�瓩範辰靴討發蕕辰燭海箸�あった。しかし谷崎潤一郎の作品は、『春琴抄』や『痴人の愛』と言った、奇異的でSMっぽい作品もある。川端康成の作品には『山の音』『千羽鶴』『眠れる美女』のような�狢膺佑離┘蹈広瓩噺世辰榛酩覆�多い。わたしが原野先生から谷崎潤一郎と川端康成との�狄擁�評�瓩鯤垢い燭箸�、反対ではないかと思ったことを覚えている。

ただ、谷崎潤一郎の最晩年の『細雪』は、戦時中軍部から時勢に合わぬと連載を差し止め処分に遭いながらも、密かに書き続け、その原稿も戦火から逃れるためにいろいろと苦労をしたということが近年明らかとなり、『細雪』の何ともゆえぬ�犂岷笋咾靴織好肇蝓辞瓩稜惴紊法�谷崎潤一郎の、現代の「源氏物語」としての『細雪』への執念というものを思わさせる話であった。

近年、11月になると、毎年のように、村上春樹のノーベル文学賞という話題が取り上げられるが、�狷�本的、世界的�瓩箸いΔ發里呂匹海��牴な討�ら見た�瓩箸いΔ海箸�含まれているように思われる。では、真に純粋に�狷�本的な文学�瓩箸呂匹里茲Δ癖験悗覆里世蹐Δ�。

今朝の朝日新聞《文化・文芸》欄に掲載された「川端にノーベル賞、評価曲折 新公開の選考資料から」という記事を読んで、そんなことを感じていた。
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