■勝間和代さん「人を差別し傷つける自由はない」新潮45
(朝日新聞デジタル - 09月27日 05:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5306219
(社説)「新潮45」休刊 あまりに無責任な対応
老舗出版社の誇りは、どこにいってしまったのか。そう言わざるを得ない事態だ。
新潮社がおととい、月刊誌「新潮45」の休刊を決めた。事実上の廃刊である。
LGBTの人を「『生産性』がない」と書いた自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の原稿を8月号に掲載し、批判を浴びると、今月18日発売の10月号で「そんなにおかしいか」と題する企画を組み、7人の論考を集めた。これにもLGBTの当事者や支援者のほか、作家や文化人、書店などから抗議の声があがり、21日付で佐藤隆信社長が「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」との声明を出していた。
休刊を伝える文書には「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」「深い反省の思い」などの言葉が並ぶ。だが、そこに至った経緯はきわめて不透明だ。
いったい、どの筆者の、どの表現に問題があったと考えているのか。この問いにも、同社は「外部の筆者だから特定は控えたい」と言うばかりだ。企画に関する編集部内での話し合い、原稿を受け取った編集者の認識、筆者とのやり取りの有無などは明らかにされず、再発防止の取り組みも見えない。
これでは言論機関の責任放棄と言われても、やむを得ないだろう。10月号の企画の冒頭で「真っ当な議論」を呼びかけたにもかかわらず、一気に休刊に走って議論の可能性をみずから閉ざしてしまったこととあわせ、疑問は尽きない。
出版不況のなか、「新潮45」の実売部数も最盛期の約5万7千部から約1万部に落ち込んでいた。近年、ネットでの過激な発言で知られる書き手を登場させるなどして、読者をつかもうとしたものの、歯止めはかからなかった。そんな悪循環が、結果として出版文化への信頼を傷つけてしまったのか。
雑誌ジャーナリズムは、タブーに切り込む力や、発想の柔軟性、多様な企画力などで、大きな足跡を残してきた。しかしそれが、少数者や弱者へのバッシングに向かい、人権を傷つける道具になってしまったら、人々の信頼を失い、表現・言論の自由の危機を招く。
ヘイトスピーチに代表される、事実を踏まえず極端に流れる言説が後を絶たないいま、社会全体で、言論の公共性とは何か、メディアが果たすべき役割とは何かを問い直したい。
そのためにも、新潮社は今回の問題について検証し、その結果を社会に示す責任がある。
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社説 総合雑誌「新潮45」の休刊 安易な「偏向商法」のつけ
性的少数者(LGBTなど)への差別的な表現が批判されていた月刊誌「新潮45」を休刊すると、発行元の新潮社が発表した。
LGBTを「生産性がない」とした自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿が批判を浴びたことに反論する特集の内容を問題視したという。
最も問題になったのは、文芸評論家の小川栄太郎氏の論文である。LGBTを「ふざけた概念」と言ったうえで、LGBTと痴漢を同列にするような非常識な表現があった。
佐藤隆信社長は「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったと認めたが謝罪はせず、批判がおさまらずに休刊に追い込まれた。
新潮社は「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程で編集上の無理が生じた」と説明し謝罪した。だが、ヘイト(差別)的な記事がどういう経過で掲載され、どんな狙いで特集が企画されたかは明らかではない。
新潮社の本を店頭に置かない書店や、執筆の取りやめを表明する作家が出るなど批判が広がっていた。
経営的なダメージを最小化しようとして休刊を急いだのであれば、ジャーナリズムとして疑問が残る。
出版社などの雑誌ジャーナリズムは、人間や社会の本音を描き、議論を巻き起こすことが強みだ。行儀の良さではなく、過激な表現で醜悪さを報じることもある。しかし、今回はその度を越していた。
背景には、出版市場の低迷がある。全国出版協会によると、昨年は前年比6・9%減少で、なかでも雑誌は10・8%減という。同誌の発行部数も最盛期の10万部から最近は平均1万6800部にとどまっていた。
一方でネット言論が台頭し、右傾化した言説や論客が保守系メディアにもてはやされるようになった。同誌にもここ数年、保守系・反リベラルの論者が多く登場している。
だが、出版メディアがネット媒体と違うのは、さまざまな情報をフィルターにかけ、品質をきちんと管理する編集機能が存在することだ。
同誌は、極端な意見を掲載することで、一部の極端な読者層を取り込もうとする「偏向商法」だったと言われても仕方ないだろう。
新潮社は掲載に至る経過を検証し、明らかにすべきだ。でなければ読者の信頼も回復できまい。
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上記は、今朝の朝日新聞の社説「「新潮45」休刊 あまりに無責任な対応」と毎日新聞の社説「総合雑誌「新潮45」の休刊 安易な「偏向商法」のつけ」の全文である。
朝日新聞、毎日新聞の社説に共通しているのが新潮社の出版社としての�倏箴綮蠑綣腟銑瓩飽属廚冒�ってしまった点である。
たしかに、書店に行けば、いわゆるヘイト本が山積みされている。ネット上のヘイト的な書き込みをそのまま本にして刊行したのかと思ってしまう書籍が並んでいる。
第二次安倍政権発足後、この日本の�爛悒ぅ伐臭瓩�進んでいる。わたしがここで�爛悒ぅ伐臭瓩箸いΔ里蓮⊃夕錙⊇仗塙顱¬餌押⊇ゞ機∪�的指向、性別、容姿、健康(障害)等、�犲�分では主体的に変えることが困難な事柄�瓩亡陲鼎い董△修慮朕佑泙燭禄乎弔紡个靴胴況癲�脅迫、侮辱する発言や言動のことである。
わたしが朝日新聞の社説のなかで注目したのは下記の一説である。
�狃佝派垓靴里覆�、「新潮45」の実売部数も最盛期の約5万7千部から約1万部に落ち込んでいた。近年、ネットでの過激な発言で知られる書き手を登場させるなどして、読者をつかもうとしたものの、歯止めはかからなかった。そんな悪循環が、結果として出版文化への信頼を傷つけてしまったのか。/ 雑誌ジャーナリズムは、タブーに切り込む力や、発想の柔軟性、多様な企画力などで、大きな足跡を残してきた。しかしそれが、少数者や弱者へのバッシングに向かい、人権を傷つける道具になってしまったら、人々の信頼を失い、表現・言論の自由の危機を招く。/ ヘイトスピーチに代表される、事実を踏まえず極端に流れる言説が後を絶たないいま、社会全体で、言論の公共性とは何か、メディアが果たすべき役割とは何かを問い直したい。��
日本社会が�爛悒ぅ伐臭瓩靴討い襪�らと言って、マスコミも同じように�爛悒ぅ伐臭瓩靴討い辰討いい里�と、朝日新聞はマスコミ自体に問いかけている。
�牋貶�でネット言論が台頭し、右傾化した言説や論客が保守系メディアにもてはやされるようになった。同誌にもここ数年、保守系・反リベラルの論者が多く登場している。 / だが、出版メディアがネット媒体と違うのは、さまざまな情報をフィルターにかけ、品質をきちんと管理する編集機能が存在することだ。 / 同誌は、極端な意見を掲載することで、一部の極端な読者層を取り込もうとする「偏向商法」だったと言われても仕方ないだろう。��
毎日新聞の社説においても、やはり新潮社がとった�倏箴綮蠑綣腟銑瓩髻嵎亳�商法」だと厳しく糾弾している。
今回の『新潮45』が休刊に追い込まれたことを、「言論弾圧」だと論じる人もいる。しかしそもそもマスメディアは、�犧絞姪�志向�甅倏啾湘�志向�瓩鵬鍛瓦靴討呂い韻覆い里澄�今回の『新潮45』はこの�犧絞姪�志向�甅倏啾湘�志向�瓩鵬鍛瓦靴討靴泙辰燭里任△襦�そのような結果、休刊しなければならない状況に自らが自らを追い込んでしまっただけのことであって、「言論弾圧」でもなんでもないのである。
むしろ『新潮45』はその8月号に杉田水脈の�猜絃廊瓩魴悩椶垢戮�ではなかったのだ。あの杉田水脈の�猜絃廊瓩�いかに�犧絞姪��瓩猫倏啾湘��瓩任△襪�は、杉田水脈が人を�狎源裟��瓩箸いΤ鞠阿馬世犬討い襪世韻任發錣�ることなのである。
あの杉田水脈の�猜絃廊瓩蓮↓狄邑�問題という政治的意図�瓩亡陲鼎�ものだという主張もある。しかし現代日本の少子化問題の根本にあるのは、�狃�性が子どもを産みたくない�瓩箸い�思いにある。では、女性をそのような思いにしている事柄は一体何かということについて何ら議論されているのであろうか。�狄邑�問題という政治的意図�瓩箸いΔ覆蕕弌⊇�性たちのそのような思いにしている事柄を探求することの方が先決ではないだろうか。
繰り返して書くが、今回の『新潮45』問題は決して「言論弾圧」でもなんでもない。『新潮45』が�犧絞姪��甅倏啾湘��畛峺�に加担してしまったのであるから、それはもうマスコミ界から消えていかなければならないのである。
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