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2018年02月21日23:51

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議論相手を否定的に解釈するのは無意味だ。

良い題材があって助かる。
議論をするときに、相手を否定できれば勝ちだと思う人は多いようだ。それは現状よりも良い着地点を目指すべき議論とは程遠いし、相手を論で倒すための討論ですらなく、ただの罵倒だ。

この落語家さんの言うことが、正しいかどうかは知らない。一理あり、無理もある。

「世界中が憧れるこの日本で『貧困問題』などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。この国では、どうしたって生きていける。働けないなら生活保護もある。我が貧困を政府のせいにしてる暇があるなら、どうかまともな一歩を踏み出して欲しい。この国での貧困は絶対的に『自分のせい』なのだ」

上記の引用の範囲で彼の意見を好意的に解釈する限り、
「日本では、途上国のような、餓死するような貧困にはなりえないから努力しろ」
ということだと思われる。

こういった尖った意見に対して我こそ一言物申さんというのはわからなくもないが、最初に問題になった文章から引用するだけで反論できてしまうのはさすがにつらい。例えば

「障害や重病で思うように働けないのは自分のせいなのですか?上司のパワハラで鬱になり働けない人は自分のせいなのですか?」
という反論の場合、生活保護というワードが桂春蝶氏の発言にすでにあるので、一般的な行政サービスは前提に織り込んだ上での発言だとあらかじめわかる。つまり彼は生活保護クラスの生活は貧困ではないと言っているわけで、それでカバーできるレベルの貧困の例をあげても無意味だ。

「自分の親の経済状況や、生まれてきた時の環境を自分で選べない以上、『絶対的に自分のせい』とは、言えない」
という人は、おそらく想定している貧困のレベルが桂春蝶氏とは異なっている。これは、上記の生活保護よりも高い生活水準であっても、貧困だと認識している人の反論と思われる。当然、「何言ってるんですか!毎月10万の都心のワンルームと5万の携帯代を払ったらもう何も残らないんですよ!!貧困です!!」という価値観をぶつけたいならありだ。価値観の衝突は議論になりうる。例えば私は、女性専用車両を擁護する人たちに対して、白人専用車両の例をあげることで価値観を変えることを期待する。

「生活保護を申請して断られて亡くなった人がいるの、ニュース見てないですかね」
というのは、反論としてはギリギリ成立するかどうかだと思う。一般的には非常にレアなケースで、総体としての貧困を語る上で必要なサンプルかどうかは人によるだろう。例えば基地問題に反対する時、「地元住民は反対しています!」というプラカードには、地元に住んでいる大地主などはカウントされない。そうしたごく少数の問題を短いツイッターで拾った上で意見を言えというのは無理が過ぎる。

こうした議論で相手に反省を促したい場合、相手方の矛盾を相手方の価値観において引き出すことができれば可能になる。相手方の価値観において、というのがポイントだ。
「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」
という名言は、一般的な価値観としては間違っているが、相手方の価値観、つまり主観としては何も矛盾しない。価値観は「ご感想」のようなものなので、それ自体を否定することは難しいというか、基本原理としては不可能なのだ。相手の主観に価値を置いてなお論理が矛盾した時だけ、相手の譲歩を引き出せる。こちらの主観をいくら主張しても、それは相手から見ても「ご感想」に過ぎない。

相手の本音を引き出したい時に、あらかじめ強く当たることはある。けれどもそれは継続して対話が続けられる場合に限られる。いい気分になりたいだけの言葉の価値は重くない。


■「この国での貧困は絶対に自分のせい」 落語家・桂春蝶が自己責任ツイートで炎上
(キャリコネ - 02月21日 18:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4996746
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