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安倍晋三は、海外でテロ事件が起こると、いつも即座にテロを批判するコメントを発表するが、日本国委で起こったテロ事件には一切何らコメントは発していない。
一年前に相模原で起こった「障害者殺傷テロ事件」に対してである。いや安倍晋三をはじめとする日本政府、官邸はあの事件を�爛謄躬�件�瓩世箸気�認識していない。しかし犯人である植松聖容疑者は事件が起こる前に、衆議院議長や官邸あてに事前に�猗塙埓写席賢瓩鯀�っていたにもかかわらずである。
この国では、�爛淵船好疋ぅ津�優生思想�瓩�まかり通る国である。社会的生産力のない人間は�犲匆颪里�荷物でしかない�瓩箸い�考えが大勢を占めている国である。だから健常者といわれる人たちとコミュニケーションが取れない障害者といわれる人たちが何人殺されようと政府はその行為を容認している。わたしにはそのようにしか見えないのである。
そのような考え方が地方議員や国会議員において障害者といわれる人の数の少なさが際立っている。その背景には、政治活動には障害者といわれる人たちは向かないという�猜亳��瓩�強く存在しているように思える。
例えば、国会義堂のバリアフリー化は一向に進んでいない。衆参議事堂内の演説台はまさしく車椅子障害者を�犁饑筬瓩靴討い襪弔�りとなっている。車椅子障害者の国会議員はどのようにしてあの演説台で演説をすればいいのか。これほどに街や施設のバリアフリー化が叫ばれているなか、国会議事堂そのもののバリアフリー化は一向に行われようとはしていない。なぜなのか。国会議事堂そのものがすでに障害者を�犁饑筬瓩靴討い襪里任△襦�
�狎�治家の資質とは、いかに国民の苦しみを想像できるかだと思う。障害を持っている人が挫折やつらさを経験していることは確かで、そのことは、政治家としてプラスに働くと私は考えている。何らかのハンディを持つ障害者議員は、痛みを抱える人の悔しさや悲しさが分かる蓋然(がいぜん)性が高いのではないか。/ 日本では高齢化が進み、体の不自由な人も増えている。政治家も高齢者の「当事者」が多いが、高齢になるほどタフでお金や権力があって、弱さに対する想像力が摩耗し、高齢者の立場になるのも難しいように感じる。/ ハンディのある議員が活躍できる環境を整えることは、誰もがのびのびと暮らせる社会づくりにつながるのではないか。��
という、東京大学の福島智教授の意見にわたしは大いに賛同する。
�爛魯鵐妊�のある議員が活躍できる環境を整えること�瓩海修�、これからの日本国の大きな国家プロジェクトとして取り組まなければならない�犢餡氾�課題�瓩覆里任△襦�
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