「わたしをわかって」「無理解に傷ついた」と言う人は他人を「わかって」いて「理解している」人なんだろうかなあ、偉いなあと思います。
自分のことがいちばん先に目に入りますからね。それなのに他人をわかっている人、理解している人、すごいな。
でも一部には「私にしてほしい」とテイクを求めるだけの人がいるようにも感じます。言っていることに違和感がありますよね。
mixiの記事でもほかの媒体での訴えも、しょっちゅう同じことを感じます。「私は理解されたい」としか言わない人がいるケースで。
テイクが先なの? ギブはいつするの?
ひとつ前の記事の不幸をわかってあげたり勉強会に出席したり理解の努力をしたりは、しないの?
と。
もちろん可能な限りしていらっしゃる素晴らしい方々ばかりが記事に登場しているんでしょうけれど。
「乗り越えて」が他人を傷つけることを理解して避けるたぐいの努力をカンペキにしている人って、一日が何百時間もあるのかしらん。
◆
■悲しみは「乗り越える」もの?68日間生きた娘を亡くした夫婦の思い 識者「聞こえいいがリスキーな言葉」
(ウィズニュース - 11月21日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=4868499
「悲しみを乗り越える」と聞いて、皆さんはどう思いますか。悲しみへの考えかたは様々ですが、「違和感」を覚える人もいます。生後68日で娘を亡くした、ある夫婦の経験から考えます。(朝日新聞文化くらし報道部記者・滝沢卓)
【画像】「ハズレくじをひいたと思って下さい」流産や死産を経験後、周りから言われて「傷ついた言葉」たち
68日間生きた長女
埼玉県内に住む40代の夫婦は約6年前、妊娠8カ月のころに健診を受けたとき、胎児の心臓に異常が見つかりました。詳しい検査の結果、先天性の染色体異常の一つである「18トリソミー」であることがわかりました。生まれてくる可能性が低いこと、生まれたとしてもたくさんの障害があったり、短命になったりする可能性が高いことなど、初めて聞く情報を医師からシャワーのように告げられました。
夫婦は本やインターネットで、娘が生きる可能性を必死で探しました。同じ障害を持ちながら、1歳を迎えている子の存在などを知り、わずかな希望も持てました。
一方で一週間ごとに病院へ通いながら、多くの選択をしなければなりませんでした。医師からは「人工呼吸器をつけなければ子どもは死んでしまうが、一度つけたら外すことはできない」と言われました。夫婦は子どもが苦しまない方法を選ぼうと話し合い、最初の産声を聞いてから、人工呼吸器をつけると決断しました。混乱のなかで不安や悲しみでいっぱいになり、「涙が足りないくらいに泣いてばかりいました」。
長女は帝王切開で産まれました。直後は仮死状態でした。心肺蘇生によって、息を吹き返し、立ち会っていた夫だけが産声を聞きました。長女は人工呼吸器をつけ、すぐにNICUに入院しました。医師からは「72時間が峠」と言われましたが、何とか乗り越えました。
夫婦は日々病院へ通いました。人工呼吸器をつけていたため、自由に抱っこはできませんでしたが、医師や看護師と協力して何度か長女を抱くことができました。「親としてできることは限られていました」が、おむつ替えや沐浴もできました。
しかし、長女は日が経つにつれて、少しずつ弱っていきました。
生まれてから68日、最後は夫婦の腕の中で眠るように息を引き取りました。
「乗り越えた」わけではない
長女が亡くなって1年くらいは、妻は外へ出ることが苦しく、多くの時間を家で過ごしました。「周りの赤ちゃんを見るのが怖くて、ちょっとだけ家の近くを散歩するときも、なるべく人がいない時を見計らっていました」。
夫は「通勤しても仕事をしっかりできていたのか、よく覚えていません」と振り返ります。道で小さい子を連れた大人をみるたびに、つらい気持ちになりました。「相手は悪くないのにネガティブな感情を抱いてしまう自分に対して、怒りも覚えました」。
半年ほど経った頃、妻は娘のために用意したベビーカーを、実家の倉庫に預かってもらっていたことを思い出し、親に聞いてみました。
すると、
「ベビーカーを見ると思い出して悲しくなるといけないから、捨てたわよ」
と言われました。
数カ月経った後に、親は謝りましたが、夫婦にとってショックな出来事として心に残っています。
「子どもの存在がこの世になかったものにされたような気がしてしまった。悲しいとかの一言では言い表せない。娘に申し訳ない気持ちになりました」と振り返ります。
長女が亡くなってから、両親からは普段の生活でいろいろなサポートを受けていました。しかし、そうした身近にいる人であっても、夫婦にとってつらい声かけもあったといいます。
「早く前向きな気持ちになって、乗り越えてほしい」
と言われたこともありました。夫婦は「乗り越える」という意味がわからなかったといいます。「親の基準で、進めてほしくなかった」と話します。
その後、流産や新生児死の経験者が集まるグリーフケアグループの催しに参加するようになりました。当事者たちによるお話会は、それぞれの経験は違っていても、自分たちの話や気持ちを否定されずに聞いてくれる環境でした。夫婦は「お話会の場に参加して、やっと普通に呼吸ができるようになりました」と言います。
親からの声かけ以上に傷ついたのが、医療従事者からの言葉でした。
18トリソミーとわかってから、夫婦は混乱している気持ちや悩みを病院に相談しようとしましたが、心のケアについては病院側の態勢が不十分で、誰に相談していいかわからなかったといいます。
そんな環境のなかで、長女が生まれる前の時期に助産師からは
「仕方ない。運命だった」
と言われたこともありました。
また出産後、母乳がだんだん出なくなり、妻にとって「母親としてできる唯一のことが奪われた感覚」になり、自身を責めたことがありました。そんな時も、
「お母さんの頑張りが足りない。子どもが退院したら大変ですよ」
というような言い方を助産師からされました。責めるような言葉に加え、安易に退院をほのめかすことにも苦しみました。
長女を亡くした後、グリーフケアグループに参加したことがきっかけで、医師や助産師からの言葉に傷ついた経験や、時がたっても悲しみが続いていることを、若手の医療従事者に向けて講演する機会がありました。
その時も、話を聞いた参加者から、
「悲しみが消えることはないと思いました」
という感想をもらい、悲しみについて周囲との「温度差」を改めて感じたといいます。子どもを亡くした経験の有無など、人によって感じ方が違うとはわかっていても、「あれ?この人は悲しみがいつか消えると思っていたのかな」と違和感を覚えました。
長女が亡くなってから6年。夫婦は日常生活は送れるようになりました。しかし、ふとした時に涙を流すことは今もあります。また、妻は「娘の存在が自分の一部となり、身近に感じるようになってきた」といいます。日々、長女に「おはよう」「行ってきます」「ただいま」といった言葉を声に出したり、心の中で語りかけたりしています。
「悲しみばかりではないけれど、悲しみを『乗り越えた』わけではありません。これからも娘と一緒に生きていくという気持ちです」
「できないことを強いられている」と感じることも
「悲しみを乗り越えて」といった周囲からの言葉は、どんな状況で出てくるものなのでしょうか。
流産や死産、新生児死を経験した人たちのカウンセリングに取り組んでいる生殖心理カウンセラーの石井慶子さん(60)によると、悲しむ当事者を見ることがつらい、そうした状況に耐えられないと思う家族や友人が、当事者を叱ったり励ましたりするときに言いがちといいます。
しかし石井さんは「聞こえがいい表現のように感じるかもしれませんが、リスキーな言葉です」と指摘します。
当事者自身が「乗り越える」という言葉を、自分への励ましとして使うことはあり得るといいます。また、時が過ぎた後で本人が振り返ったときに、ようやく「乗り越えた」と感じる人がいるかもしれません。しかし、「周囲から『乗り越える』という言葉を聞いて、違和感を感じる体験者は少なくありません。『悲しみは、乗り越えるべき』ものなのかという価値観の問題があります。悲しみのあり方はさまざまで、形を変えつつ、その人のそばにずっとあるかもしれません」といいます。
石井さんは「何とか気持ちを変えたいと思っても、なかなか変化しない悲しみの中にいるとき、周囲から『乗り越えて』と言われたら、『できないことを強いられている感覚』を感じたり、理解されない事への失望や反発、怒りを感じたりする可能性があります。この言葉かけは、注意深く使われる必要があると思います」と指摘します。
◆
(超耳)
あなたもまた別の誰かの「周囲」ですよ。
どうかずっと忘れないでね。
あなたにも能力があります。ほかの誰かを理解すること。励ますこと。存在を認めること。
誰にでも少しの手間でできることが大事なんです。それっぽっちのことがなかなか難しいのが世の中なんです。技術と社会の豊かさによって言葉を届けるのが手軽になったことを大事なことに使えたらいいですよね。
そしてまた「乗り越えて」とか「忘れて」とかは、単純に悪意のないアドバイスではないんでしょうね。
>悲しむ当事者を見ることがつらい、そうした状況に耐えられないと思う家族や友人が、当事者を叱ったり励ましたりするときに言いがちといいます。
「こっちを嫌な気分にするのもいい加減にしろ」という感情の言い換えかもしれないことを、どうか推察できる人になってほしいと思います。テイクを求める人にはね。
そのためにも、テイクばかり何年も続ける愚を犯すことなく、ギブを、多めのギブをする人であってくれたらなあと思います。子を亡くした親も。そのほかの不幸な体験をした人にも。
悲しんだり苦しんだりすることが悪いなどということはなく、テイク多めなのがダメなんじゃないかなと思うんですよね。
ギブも十分して、テイクも求めて、というバランスって大事ですよね。
それをしてもなお傷つけてくる人ももちろんたくさんいるんですけれど。ダメな人は何をどうやってもダメなんで、せめて中立的な人に味方になってもらう方策があるといいなあ。
この記事で扱われているケースはたぶん、反面教師なんですよね。
「いい加減にしろ」の言い換えで「乗り越えろ」と言われてしまっている。そう感じます。学んで、理解して、受け入れて、記事に出てくる人自身が変わるといいなあ。無理解や拒絶はダメですよね。
ログインしてコメントを確認・投稿する