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2017年01月13日13:32

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本日、八木雄二著『スコトゥスの存在理解』が届く

本日、先日「日本の古本屋」というサイトで見つけた、八木雄二著『スコトゥスの存在理解』(創文社)が届く。

中世哲学史においてスコトゥスの「存在の一義性」は有名であるにもかかわらず、その「存在の一義性」がすこトゥ知すの哲学のなかでどこに位置させるのかという研究はこれまで行われて来なかったと八木雄二氏は�爐呂犬瓩豊瓩能颪い討い襦�そうしてスコトゥスの「存在の一犠牲」とは、「存在」そのものではなく、「存在をいかに認識するのか」という「概念」の問題だと、八木雄二氏は論じているのである。

したがって八木雄二著『スコトゥスの存在理解』は、スコトゥスの哲学全体において「存在の一義性」がどのように位置づけされているのかということを研究対象とした研究論文、慶応義塾大学に提出された文学博士論文に後日手を入れて出版した研究書だという。

中世哲学史研究では、スコトゥスの「存在」と「概念」とを区別することなく、むしろあいまいな形で、あるいは�犧�合�瓩靴新舛馬世犬蕕譴討�たという。では、何故スコトゥスの「存在」と「概念」とが会いないな形で論じられてきたのかというと、中世史研究は、やはりトマス・アクィナス研究が主流で、トマス・アクィナスの研究さえしていれば中世哲学史の研究がすべて終えたという研究者が多いことにあるらしい。だからトマス・アクィナスに異を唱えていたスコトゥス研究は、中世史研究の傍流であり、スコトゥスの学説をもってトマス・アクィナスの学生に異を唱えること等、中世哲学史研究においては�犲抛鮫瓩箸気┐気譴燭箸いΑ�

そんななかで八木雄二氏は、孤独にスコトゥスの難解なラテン語と格闘したという。スコトゥス哲学の難解さは、あのハイデッガーが教授資格請求論文で『スコトゥスの範疇論と意義論』とスコトゥスを扱ったが、その論文以降、ハイデッガーは二度とスコトゥスを取り扱うことはなかった。八木雄二氏によれば、その理由は、スコトゥスの哲学にある難解さによるものだと論じている。

ハイデッガーでさえ、放棄したスコトゥスに、いやスコトゥスの難解なラテン語を孤独に読まれ、そのなかでスコトゥスと対話をされて書きあげられた、八木雄二氏の『スコトゥスの存在理解』をどこまで読めるのか、全く自信はないが、なんとか目を通すだけでもやってみたいと考えるのである。
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