今日は4時おき。朝7時に寝て12時頃起きたがまた寝て最終的にそうなった。なお夜にも2時間ぐらい寝てしまった。まぁ今はいいか。
起きて直ぐ風呂に入った後居間で婆ちゃんが一人だったので話しかける。無論長話をするつもりで、だ。だって一人ぼっちだったし寂しそうだったように見えた。結論的には6時半までずっと喋りっぱなしだった。これはボケそうにない。いやまぁ重複する会話は2,3回あったけど。後息子夫婦にいびられ婆ちゃんは虚しいよって言うネタ(事実だが)もどんどん細かくなっていく訳だが。でもまぁオレは戦前戦後オレの生まれてない頃の話を聞きたかったのでそっち方面をかなり聞けた。はっきり言ってテープレコーダーか何かで録音したいなぁと思うんだけど。ただ録音してそれを後で聞くと理解できるか一寸判らん。例えばオレの知らない言葉を割と使うし一番下の弟をなんか独特の表現で言ってたが文脈で理解できたが今なんていっってたかは正直判らん。あとオレから婆ちゃんでも婆ちゃんの姉とか互いの表現が違うからたまにわけわからんくなる。
でもまぁ話は面白かった。婆ちゃん家は7人子供がいて上は98かな?そんで3歳ごとにいて一番下だけ男。驚きだが全員存命なんだってー。
家の母親も女系の遺伝子が強いが20人ぐらいいる婆ちゃんの孫の内男はオレも含めて3人しかいない。(婆ちゃんの娘も3人娘1人息子だ。)ばあちゃんの代の前からだとは。そして死んでないってのも驚きだ。末息子が83ぐらいだって。貧乏だったと言うがオレの母親的には婆ちゃん家は子供が多かったから大変だったけどそこまでではなかったらしい。じいちゃん家も同様。一番上の姉は軽井沢?で子供相手の駄菓子屋を98歳で未だにやってるらしい。3年ぐらい前に40代ぐらいの向に住んでる洗濯屋に強盗にはいられたんだとか。情けない。よくそんな仕事続けられてるわと思う。仕入れとかはどうしてんだと思うが婆ちゃんも遠くてあまり会えにイケてないから判らんと思う。横浜にその婆ちゃんの息子がいるらしいが嫁と折り合いが悪く一緒に住まない決断をしたんだとか。どこもそんなのばっかだなと。
で婆ちゃんは20歳頃東京の麻布にあるお嬢様学校の寮のまかないをしてたんだって(現在もwikiで出てくるらしい母親が調べた。大臣の娘とかそんな超一流のお嬢様が通う学校で)そこでご飯を作ったり、後なんだっけ、着物もちゃんと着れないお嬢様の支度を卒業式とかではしたりしたんだとか(婆ちゃんも無論着たことは無かったが仕込まれたんだと)。で100人ぐらいだったかの飯を5人ぐらいで作ってたって。そんなお嬢様の口に合う料理のスキルが有るだけで凄いじゃんと言ったが、でも終戦の時には栃木に帰っていて貧乏生活で食材も無かったからそのテクニックは封印されたと言ってたw疎開しに帰ってきてる人も含めて20人ぐらいの大所帯になってしまっていたんだとか。後姉(裁縫屋で東京にいる)の荷物を弟と荷車押して取りに行ったという話もすごいと思った。1日半かかったって。
玉音放送とか聞いたのかなぁ。耐え難きを耐え忍び難きを忍びとかなんとかって聞いてみたら、覚えてなかったw多分聞いた、って言ってたけど色んなことを細かく覚えてるからこれは聞いてないかなwおそらく戦後テレビとかで見た記憶と混ざったりはするかもな、70年以上前のことだし。戦争の被害とかそういうこともあんまなかったみたいだし。
後オレの生まれる前の話では、やっぱりオレの親の結婚には反対したらしいがまぁ千葉と栃木だからね。結婚式には来たと言っていた。オレが生まれるときとかも居たかもしれない(正確ではない)。オレの姉が生まれる時はいたのかもな。後、うちに爺ちゃんが来た記憶がオレが753の時(多分5の時?)昔の居間にでかいテーブルを3つ繋げて親戚(母方)一同集まってオレと姉妹がひな壇に座り宴会的なことをしたという記憶があってそこに爺さんと婆さんがいたって記憶(これは曖昧だ)しかないと言ったら、オレが大学生の頃ぐらいに10日ぐらいなにか一人で悩んで考えたいとかで居たんだと。知らんかった。そこから爺さんの話でオレはなんか87歳で死んだと勝手に思い込んでたんだが、全然違っていて73とかだそうな。平成17年と言ってたがそれだと計算が合わないのでえ?と言ってたら13年かなとw愛人問題には触れなかった。婆ちゃんが知ってるのは後からの事情だけだろうから。情事だけに。でも栃木のいちごの元祖は爺ちゃんだと全く疑いもなく言ってた。これwikiとかで見ると栃木の議員がその成果をオレのって(本も書いてる)言ってるらしいがちなみにwikiには疑わしいと疑問が書かれてるけど。年代は聞けなかったがなんだっけ。作った野菜を1月2日に東京の農協的な何かに売りに行ったら野菜じゃ駄目だよ、苺を作りなさいと苗を貰ったんだと。それがはじまりなんだって。でも2年ぐらいは市場に出せるような形の良い苺がなかなか出来ない感じだったんだと。そんで九州だったかから苗を貰ってきてそれで上手く言ったとかなんとか(この辺はオレの記憶力がぼんやりしててダメだ)そんで成功して青年団の団長とかもやってたから周りの連中にも勧めてどんどん広まったんだとか。で立場もでっかくなって、遠くの地方から研修生が毎年来て苺を1年教えて帰ってくんだとか。青森からも来て1年やって帰る時に青森で苺やりたいと言ったものの。いやいや流石に寒すぎだろって言ったんだけどとても太い芯のビニールを作ってなんとか出来たんだとか。爺ちゃんは昔バイクで捕まってそれ以来免許持ってなかったんだけど、取り巻き連中がいっぱい居てどこ行くぞって言うとドライバーに不自由しなかったんだとか。だから千葉の家には来なかったのかなぁと思った。
あと名前ね。シノというらしい。前の名字は高岩だったかな。また忘れそう…。いい名前じゃんと言ったがあんま好きじゃないんだと。老人ホームではカラオケする人もいるけど自分は歌わないって。愛染カズラ?なら歌えるかもって田中絹代の名前を出して言ってた。名前は知ってた。男の名前も覚えてたけどオレは覚えられなかったw
いやー打てば響く。面白いエピソードがわんさかだよ。ずっと聞いててもいいくらい。また聞けるかなぁ。
なお今日もオレ的には何もなかった。まぁこれだけいい話が聞けたんだからいいよねー。
ログインしてコメントを確認・投稿する