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2016年12月10日11:47

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大陸の恥と面子の文化

多少差別的な内容になる。


もう15年も前の話になるのか。北京オリンピックが間近に見えてきた頃、
ある意味では今以上に深刻に、中国に海洋進出の兆しが見えていた。
当時、中国を擁護する人もいて、その多くは「中国にはメンツの文化があるので、メンツを失うような行動をするはずがない」という論調だったように思う。
この手の論理には流行り廃りがあり、一旦廃れると埋没してしまい、WEBであってもひろいあげるのは難しいが、個人的にはそのように記憶している。

私も含め、批判的な中韓ウオッチャーは、彼らの言うメンツがそんなに清廉で自己抑制的には働かないことをよく知っている。
彼らは自由闊達に言動し、その結果明白にやりすぎて立場を失ったり、論理から外れあるいは単純に力負けした時に、「メンツを失った」と大騒ぎするのである。

日中の間にある(と本人は認めないだろうが)韓国は、両国の影響を受けて奇妙な思想文化を育んでいる。もちろん、日本人の感性から見て、である。それは恥の文化で、日本人の恥というものが体面を保つのに使われ、時には捨て去ることができるのに対し(ex.旅の恥はかきすて)、韓国の恥は自分の内面にある、仮想の多数派によって引き起こされるものである、という感じがする。

記事中の、「私もパククネを選んだので恥ずかしい」という表現である。日本人はこういうとき、あまり恥を意識しない。裏切ったな!とキレるのである。さかのぼって考えて、投票時にパククネの黒幕の情報は知らなかったわけだから、同じことがあれば同じように投票してしまう、つまりパククネが騙したわけだから、自分は悪くないのだ。

しかし韓国人の場合は、こういうときに恥を感じる。このときに発生する恥という感覚は、日本人にはない。過程がどうであれ、結果的に「負け組を選択したことへの恥」である。例えばスポーツなどでも、「負けたチームを応援していたので恥ずかしい」のだ。日本ではそういう恥文化はない。中国はよく分からない。

この感性は歴史にも及び、例えば日本の弥生時代に、ローマでは大規模な公共事業が行われていることに対し、「ほえーローマすげえな」とは思っても、弥生文化が恥ずかしいとは思わない。韓国人は思う。あるいは、「劣っている方が恥を感じているだろうと思う」。

まあ双方良い点悪い点あるわけだが、韓国の恥の文化はとても異質に見える。敗者の美学、一匹狼の美学、というものが欠落しているように見える。もちろん、判官贔屓というものが日本文化特有のものかもしれないが。

個人的には、韓国に距離を感じたのは2002年のW杯共同開催の報道からだった。相次ぐ危険なラフプレーや、ゲスト国に対する容赦のない差別など、ネトウヨ的な報道も多く目にしたが、個人的に心に刺さったのは、韓国の女子サポーターが、韓国チームを応援する日本チームに感涙して話した一言だった。
「私たちはずっと日本より成績が悪かったらどうしようとばかり思っていたのに、
 日本人が韓国チームを応援してくれるのを見て感動しました。」
共催である以上、どっちが上とかとりあえず関係ねーよ、と思い、価値観の違いに深い断崖絶壁を感じたのだ。

あれから15年。サッカー選手のところへは急にボールがいくものだと思っていた価値観とともに韓国への価値観が覆り、未だ時々寂しいほどの距離感を感じるのだ。これは政治的なアレコレではない。安倍政権のせいでもない。韓国人という集団との距離感である。



■弾劾可決の瞬間「勝った!」 韓国国会前、涙流す人も
(朝日新聞デジタル - 12月09日 20:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4334601
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