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2016年07月03日13:52

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八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』(ちくま新書)を読む―改めて個人の尊厳と民主主義との関係を考えされられる

八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』(ちくま新書)を読む。

最近、自民党の改憲論的政治家や文化人からから、現行の『日本国憲法』はあまりにも�犖朕夕腟銑疆�だという声が声高らかに聞こえてくる。では、その�犖朕夕腟銑瓩箸い�思想はそもそもどのような思想であり、そしてわたしたち日本国民場どこまで批判や避難をしている�犖朕夕腟銑瓩箸いΔ海箸�分かっているのかという思いを持って、この『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』というちくま新書を読み出した。

すると、ヨーロッパにおける�犖朕夕腟銑瓩箸いΔ海箸�言われ出したのは、19世紀頃であるらしいが、その起源は中世のスコラ哲学にまでさかのぼるという。そして�犖朕夕腟銑瓩竜�源には中世ヨーロッパの�猊疂從請茘瓩砲泙任気�のぼるという。「普遍論争」とは、スコラ哲学において「普遍は存在するか」という問いをめぐって争われた哲学上・神学上の論争の一つであるのことであるがその論争は、古代から近代まで形を変えて論じられてきた論争のことである。

さらに、、ヨーロッパにおける�犖朕夕腟銑瓩竜�源は、中性キリスト教神学のペルソナ論がその中心として論じられてきたという。その上で、著者である八木雄二氏はトマス・アクィナスのペルソナ論とヨハネス・ドゥンス・スコトゥスのペルソナ論を論じている。その理由としては、トマス・アクィナスのペルソナ論における�狄祐屬紡个垢襯撻襯愁吻瓩呂い錣罎觜盖�な人間にしか認めなかったのに対して、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスのペルソナ論における�狄祐屬紡个垢襯撻襯愁吻瓩廊爐垢戮討凌祐岫瓩爐靴蹈�リスト教に対する�猊埒�仰の人間�瓩砲眷Г瓩襪箸いε世砲△襦�

八木雄二氏はヨハネス・ドゥンス・スコトゥスのペルソナ論に人間が持つ�狎鎖静�な自立性・孤立性�瓩鮓�出し、人間の神への依存性からの脱却、そして神への信仰を取るのか取らないのかの�犲�立的自由�瓩箸いΔ發里鯒Г瓩討い襪範世犬襪里任△襦�この人間の神への依存性からの脱却ということは、父なる神が子なる神・キリストを人類の罪を購うために十字架上の死を与えたという、父と子の甘えた関係ではなく、むしろ冷血、不条理な運命を父なる神が子なる神・キリストに与えたという点からヨハネス・ドゥンス・スコトゥスはこのような�狄祐屬紡个垢襯撻襯愁箆性瓩鯱世犬燭里世犯�木雄二氏は論じている。そしてわたしはこの辺に西洋政治学・法学における�犖弔梁砂鏑瓩僚斗彑�もあるのではないかとぼんやりと感じてきたのである。

わたしは、キリスト教における�爛撻襯愁箆性瓩眞羸い砲�けるスコラ哲学もヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの哲学にも疎い、完全な門外漢である。ただ、かつて西谷勇作先生が大谷大学で「デカルトとパスカル」というテーマでの講義が行われたが、西谷勇作先生は何故かスコラ哲学や「普遍論争」に何年も時間をかけて講義をされたことがある。その時に、西洋近世・近代哲学は中世のスコラ哲学や「普遍論争抜きには論じられないので」と繰り返し論じていたことを思い出した。それと同じことをこの『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』の著者である八木雄二氏も、近世哲学そと言われたデカルトが相手にしていたのは、まさしくスコラ哲学であり、カントも同様であると論じられていたのである。つまりスコラ哲学抜きには西洋哲学は論じられないのかもしれない。

『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』のなかでわたしが最も注目したのは、八木雄二氏の次のような論述である。

「民主主義は、有意義な論争が市民のあいだで十分に行われ、市民が多様な視点から国家の問題を理解していることが必要である。それがないと一部の人間の利害につられて船頭が起こりやすくなる。人間は現実的な視野が失われると幻想にとらわれてしまいがちになるからである。」

わたしはこの八木雄二氏の論述こそが、今のわたしたちに最も必要なメッセージだと思った。はっきり言って、この『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』という新書の内容を十分に理解することかできたかというと、いささか心もとない。しかしキリスト教におけるペルソナ論がキリスト論に関係していること、そしてキリスト教、とくにカトリック教会にとって大きなテーマであること、さらに西洋哲学におけるスコラ哲学の重要性を改めて再確認した。

そういえばハイデッガーの教授資格論文は『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』であり、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの哲学を取り上げていたが、それ以後ハイデッガーはこのヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの哲学について論じることはなかったと、八木雄二氏は語っている。その理由は、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの哲学があまりにも難解だったためか、もしくはカトリック教会の関係があってヨハネス・ドゥンス・スコトゥスを論じることを控えたのかのいずれであったのではと憶測を書いていた。

八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』では、自民党の改憲論的政治家や文化人からから、現行の『日本国憲法』はあまりにも�犖朕夕腟銑疆�だと批判・非難しているが、彼らにはまず「個人主義」と「利己主義」との区別もついていないほど、そもそも「個人主義」とは何なのか、「個人主義」という思想そのものに、西洋ヨーロッパでの多くの人々の論争があったことを、最低でも教えてくれる名著である。ただこの八木雄二著『「ただ一人」生きる思想―ヨーロッパ思想の源流から』(ちくま新書)は既に絶版である。この新書が刊行された2004年にわたしはジュンク堂大阪本店で何気なく、キリスト教や中世哲学に関係する新書だと思って購入していた一冊だった。そして購入して12年読まずにいた新書なのである。
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