一般論で片付けない記事大好きです。
ちゃんと脳を使っている記者さん、書いてくださってありがとう。
同意いたします。
会話のキャッチボールになど特に興味はないのですが、つまらない人にもおもしろい人にも、どんどん疑問をぶつけて言葉を引き出したいものですよね。
疑問を返しているのにろくな答えがない人は空っぽ人間です。
そういう人とのキャッチボールなど消滅していいし、そうなるべきなんですから。
>A「俺、小さいサイズでいいかと思って、○○インチにしたんだよ。△△インチってけっこう大きくない?」
これはキャッチボールじゃないですよ。
「もっといい球を放ってこいよ!」ですよね。
君が新しいテレビを買ったこともそれが大きいサイズであることも価値が無い情報だ。ぜひ自分に役に立つ情報に落とし込んで話せ、という方向への誘導になっています。
だからいいなー。
話しかけてきた人が「だって大きいのっていいじゃん」と言う人なら、用がないんですから。そこで終わるのがお互いに無駄がなくていいですよね。
仲良く会話が続くことに価値があるときもあるでしょう。でも大概はそんなことはないんだと思います。より有益な会話になるように綱引きするほうがずっとおもしろい。綱引きできないプレイヤーとはそれっきりに断絶するほうがベター。こういう観点で語れる人がもっと増えてほしいなと願っています。
>自分は、まだまだ変われるのだ。
>結論を疑うことができるのだ。
>そう思って、話題を捨てずに返答していけば、会話もひろがって、自分の可能性がひろがっていく。
ほんと、そうですよね。
価値のあるプレイヤーとなら楽しくプレイできて枠が広がるんでしょうね。
◆
あなたは大丈夫? 会話のキャッチボールが続かないタイプの人
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=4059388
「はてな匿名ダイアリー 」の「こんな感じの友人がいるんだがちょっと苦手だ」(
http://anond.hatelabo.jp/20140601234208)という書き込みが話題になっている。
B「このまえ新しくテレビ買ってさ」
C「へーどんなん?」
B「○○機能がついてて、△△インチ」
A「ふーん。俺は大きさ求めてないからいらないな」
という例をあげて、
“なんというか、普通の雑談に「自分にとってどうであるか」を必ず挟んでくる感じ。
これをやられると、お前にとってどうだかとか聞いてねえよという気分になる。
「あーそうなんだ」とかいって雑談できないのだろうか。”
と感想が続く。
えええー!
「自分にとってどうであるか」って話すのふつうじゃないの?
ぼくだって、Aのような受け答えは苦手だ。
だけど、その理由は、「自分にとってどうであるかを言うから」ではない。
たとえば、以下の受け答えだったらどうだろう。
B「このまえ新しくテレビ買ってさ」
C「へーどんなん?」
B「○○機能がついてて、△△インチ」
A「俺、小さいサイズでいいかと思って、○○インチにしたんだよ。△△インチってけっこう大きくない?」
最初の例と同様、Aは「自分にとってどうであるか」を挟み込んでいる。
このやりとりでも苦手だろうか?
「自分にとってどうであるか」を言わない雑談なんて味気なさ爆発だ。
雑談にまで同調圧力を持ち込まないでほしい。
「あーそうなんだ」レベルのリアクションしかないなら、AI搭載のしゃべるぬいぐるみでいい。
目の前の相手と対面しているのだから、「自分にとってどうであるか」を返してほしい。
最初の例で、Aのやりとりが嫌なのは、話題を捨てているからだ。
Bが「新しいテレビを買った話題」を投げる。
Cが、話題を受け取り、「へーどんなん?」って疑問で投げ返す。
会話のキャッチボールが成立している。
Cの投げ返した球をBが受け取り、「○○機能がついてて、△△インチ」と返す。
ところが、Aの「ふーん。俺は大きさ求めてないからいらないな」は、その話題を受け取ってはいるが、相手に投げ返さず、ぽいと捨てている。
それは不愉快だろう。
キャッチボールしているときに、受け取った球をぽいっと横に放り捨てて、「ほらまた投げてこいよ」という顔をしているようなものだからだ。
会話のキャッチボールが続かないタイプの人の多くは、「自分が変わらない前提」でいることが多い。
Aも、「テレビに大きさを求めてない」という前提が変わらないと思って返答しているために、結果的に「大きさの話をするな」と主張してしまう。
こういう返答では、話題は続けにくい。
自分が渡した話題を放り捨てられた感じがしてしまうからだ。
もし、Aが「いまの自分はテレビに大きさを求めていないが、そんな自分も変わるかもしれない」と思っていれば、返答も変わってくるだろう。
「(俺はテレビに大きさを求めてないが)大きいテレビっていいの?」というように返すことができる。
話題を捨てずに投げ返せるのだ。
その結果、やっぱり俺は小さいテレビでいいなと確認できれば、それはそれでいい。
話を聞いて、大きいテレビもいいなと思えたら、自分の枠が広がるワクワクを感じられるだろう。
自分の枠が広がるワクワクを体験できるのは、10回に数回もないかもしれない。
たいていの場合は、最初に考えていた結論のままで、変わりがないだろう。
だが、10回に1回でも変われれば、それは大きく自分の可能性をひろげることになる。
自分が変わっていく、枠が広がっていくワクワクを知っていれば、相手の話題を捨てず、返球していけるのだ。
自分が思っていることは、自分の中では熟考した結論だと勘違いしがちだ。
だから、自分の考えと少しでもズレていれば、話題そのものを拒絶してしまう。
会話が続かない。
いつまでも、「ほら、俺の考えとズレない話題を投げてこいよ」と、ないものねだりのほしがり屋の顔で、困ったり、気まずさを生み出してしまう。
他者からの話を取り入れることによって、あらたに考えなおすきっかけになることも多々ある。
自分は、まだまだ変われるのだ。
結論を疑うことができるのだ。
そう思って、話題を捨てずに返答していけば、会話もひろがって、自分の可能性がひろがっていく。
文・米光一成
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