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2015年10月26日14:47

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大屋憲一先生とパウル・ティリッヒと教育実習と―大屋憲一先生の訃報に接して

さる2015年1月23日、大谷大学名誉教授の大屋憲一先生が肺炎のために亡くなられたという知らせを、大谷大学同窓会機関誌「無盡燈」で知った。

大屋憲一先生は、大谷大学文学部哲学科宗教学専攻分野の教授で、キェルケゴールがご専門であった。著作には、『キェルケゴールと日本の仏教・哲学』(共編著)や『キェルケゴールを学ぶ人のために』(共編著)があった。

わたしが大屋憲一先生のお世話になったのは、�狃ゞ飢吻瓩箸いΧ疑μ筏�取得及び教育実習の時であった。当時、わたしは障害者である自分が教壇に立つということに、障害者問題という側面から大きな意味を持つと考えていた。というのは、全盲の先輩も教育実習を行われたことを目の当たりにしたからだ。その先輩の姿に影響を受けたという側面が大きい。

その先輩は、哲学科宗教学専攻であったが、国語の教科で教育実習を行われた。では、わたしは何で教育実習をやるべきか、いろいろ考えた挙句、宗教科という教科を選んだ。たしかに宗教家という教科はごく一部の宗教系の学校しか授業も行われていない。しかしわたしにとって最もふさわしい教科は宗教家しかないと考えたのだ。�犲�己とは何か�甅狎犬�るとは何か�瓩箸いΔ海箸鮴古未燭舛醗貊錣帽佑┐蕕譴襪里蓮⊇ゞ飢箸箸�ないと、その時のわたしは考えたのであった。

しかしわたしには障害者意外にもかなりのハンディがあった。それはわたしが�犹芦麒堝�生�瓩任△蝓∧験愽�三回生寄り取得しなければならない単位数もあり、教育実習を四回生で行くのは不可能であったのだ。そこで一年留年して教育実習に行くか、それとも大学院に上がって教育実習に行くかということであった。わたしは大学院修士課程一回生として教育実習に行くことにした。いや、わたしの主任教授であった訓覇曄雄先生のゼミで卒業論文の中間発表を行ったとき、訓覇曄雄先生から「さっさと大学院に上がって来い」と言われたことにも起因していた。

当時、宗教科の教科教育法は大屋憲一先生が担当されていた。その教科教育法の授業の中で、大屋憲一先生から、ドイツの神学者にして宗教哲学者であるパウル・ティリッヒが来日され、京都に来られた時、大谷大学にも立ち寄られたときのことを話されていた。大屋憲一先生によると、パウル・ティリッヒは仏教の�狎犬泙譴覘瓩箸いΩ斥佞亡郷瓦気譴討い燭範辰気譴拭�キリスト教では、�狎犬燹�産む�瓩箸いΩ斥佞呂△辰討癲↓狎犬泙譴覘瓩箸いΩ斥佞呂覆ぁ�それはキリスト教がすべて神によって創造されたものであり、自らが生まれてくるという考え方がないからだと説明してくれたことを未だに忘れられない。

わたしの教育実習は、大谷高校で行われ、四コマの授業を行うことになった。普通、教育実習は担当教授が一度見に来てくれたらいい方だと聞いていたが、わたしの場合、毎時間、担当教授の訓覇曄雄先生をはじめ、大屋憲一先生、同じく文学部哲学科宗教学専攻の武田武麿先生、あるいは大学職員の人までが必ず�犖�張り�瓩僕茲討�れていた。

わたしは、大屋憲一先生の講義は残念ながら聞いたことはない。ただ、教科教育法でのパウル・ティリッヒと�狎犬泙譴覘瓩箸いΩ斥佞�今もなお、わたしの脳裏に残っている。大学院博士後期課程を経て、研究室の特別研修員として二年間残ることになったが、二年の任期が終わる頃、大屋憲一先生にもわたしの将来についていろいろと心配いただいたことを覚えている。そしてわたしがなんとか消費者金融会社・レイクという会社に就職することができ、大学の哲学会等に出席するようになり、わたしの近況を報告すると、「それは本当に良かった」と喜んでいただいたことを未だに覚えている。

また一人、わたしの学生時代に負わせになった先生が亡くなられたと思うと、とてもさみしく思えてくるのである。
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