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2015年09月07日12:56

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コルヴィッツのピエタに出逢う


先日、Eテレ(NHK教育番組)の「こころの時代〜宗教・人生 シリーズ 私の戦後70年」で�牾欧錣譴型佑咾箸涼罎如鴫�縄でコルヴィッツと出会う�瓠丙栃�送)を見る。

この「こころの時代〜宗教・人生 シリーズ 私の戦後70年」のホームページには番組概要を次のように書かれていた。

「沖縄の米軍普天間基地に接する佐喜眞美術館。芸術家ケーテ・コルヴィッツの希少なコレクションがある。コルヴィッツは20世紀前半のドイツを生き、二つの世界大戦で息子と孫を失い、戦争や貧困に苦悩する人間像を版画や彫刻で表した。最近、ソウルで展覧会が開かれるなど、戦争とは何かを問う動きが東アジアで広がっている。芸術作品をよすがに、戦争や弾圧などで害(そこな)われてきた人々の記憶をいま沖縄から見つめ直す。」

わたしは、その番組を見て初めてケーテ・コルヴィッツという芸術家を知った。彼女の生涯は次のようなものだという。

「コルヴィッツは1867年7月、プロイセン東部のケーニヒスベルクに生まれた。父は法律を学んだが、職業的法律家の資格を得る寸前にその道を放棄し、修行して石工の親方になったという人物である。13歳のときから美術を学んだケーテは、ゾラ、イプセンの作品に出遭い、社会主義運動とフェミニズム運動に関心を抱いた。1891年、医師のカール・コルヴィッツと結婚した。カールは労働者階級の出身であり貧しい人々を対象とする診療所を営んでいた。
 初期の作品「職工」はハウプトマンの戯曲から霊感を得たものだ。1844年にシレジア地方で起きた職工たちの蜂起は「ドイツ最初の労働者暴動」であったが、プロイセン軍によって無慈悲に鎮圧された。この1898年に大ベルリン美術展で公開され、そのラディカルな主題のためセンセーションを引き起こした。審査委員会は金賞を与えようとしたが、皇帝がそれを拒んだという。「職工」に続いてコルヴィッツは16世紀のドイツ農民戦争をテーマにした「農民戦争」連作を制作した。
 1918年、長く続き膨大な犠牲を出した第一次世界大戦が終わった。ドイツ革命が起こり各地で労農評議会(レーテ)が結成された。戦争中から「スパルタクス団」を結成して社会愛国主義と闘ってきたドイツ共産党の指導者ローザ・ルクセンブルクとカール・リーブクネヒトは、社会民主党のノスケが率いる「義勇軍(フライコール)」によって惨殺された。社会民主党支持者であったコルヴィッツはリーブクネヒトとは政治的立場を異にするが、遺族からデスマスクの制作を依頼された時、ためらうことなくこれを引き受けた。
 1933年にナチ党が政権を奪取して以来、コルヴィッツはさまざまな圧迫を受け、「退廃芸術」の烙印を押されて芸術アカデミーからも追放された。その上、1942年には第二次大戦では、従軍した孫のペーターも失った。老いたケーテは強制収容所に送られるかもしれないという悪夢に苦しめられながら、自殺を考える晩年を送ったあと、1945年4月22日、77歳で世を去った。ヒトラー自殺のわずか8日前のことである。」

佐喜眞美術館は、米海兵隊普天間基地に隣接している。いや隣接というより、半ば以上、基地の敷地内に頭を突っ込むようにして存在している。まさしく�� 基地に抗う美術館�瓩覆里任△襦�

番組は、佐喜眞美術館の館長である佐喜眞道夫氏と東京経済大学教授である徐京植(ソ・ギョンシク)氏との対談形式で進んでいく。

「私(徐京植氏)に最も強く衝撃を与えたのは、�犹爐鵑世錣�子を抱いている母�瓠平沺砲任△襦�佐喜眞館長も、若い日に銀座の画廊でこの作品と出会い、「魂をわしづかみにされ」たことが、美術コレクターの道を歩み始めた始発点だという。佐喜眞館長は、みずからの祖母を含め、そのような母たちの姿を沖縄のいたるところで見たという。/ 戦争、飢餓、疾病のために死んでいく子どもと、悲嘆にくれる母。母親の姿は、まるで子どもを喰らう悪鬼のように見える。ほんとうの嘆きとはこういうものだろう。これは、子らの出獄をまちかねたまま無念に死なねばならなかった私の母の肖像だった。韓国と世界に、どれほど、このような嘆きを強いられた母たちが存在していることか。/ しかも、この作品は1903年に制作されているのだ。この作品のモデルを務めた次男ペーターを11年後に起きた第一次大戦で失い、コルヴィッツ自身、悲嘆に暮れる母たちの一員になった。芸術が実際の人生を先どりしたのだ。出征を志願した息子を引きとどめることができなかったことが、彼女の生涯の悔いとなり、平和主義の源泉ともなった。」

�犹爐鵑世錣�子を抱いている母�瓩箸蓮⊇�京植氏の言葉を借りれば、�狎鐐茵�飢餓、疾病のために死んでいく子どもと、悲嘆にくれる母。母親の姿は、まるで子どもを喰らう悪鬼のように見える。ほんとうの嘆きとはこういうものだろう。�瓩修靴討海糧�術館の館長である佐喜眞道夫氏は、沖縄戦でわが子を亡くした母親を思ったという。コルヴィッツ自身は16世紀のドイツ農民戦争をテーマにしたにもかかわらず、である。

わたしは、ここに真の芸術の意味を見出すのである。芸術作品はどこか時代を超えた永遠性ということがあると言われる。しかしその系術が持つ永遠性とは、その作品を観る者に�犲臑療�に関わる�甅牴罎�こととして考えさせる�瓩噺世辰人彖任發△襪茲Δ忙廚錣譴襪里任△襦�

わたしは今年の6月に生まれは初めて沖縄旅行に行った。そして沖縄良好に連れて行ってくれたマイフレさんから、沖縄の墳墓が琉球の民間信仰による亀甲型の巨大な墓であり、それは母親の子宮をイメージされていると聞いたことがある。その番組中で。コルヴィッツのピエタという彫刻を紹介していた。

ピエタとは、十字架上で刑死したイエス・キリストの死体を膝に抱きしめるマリアの姿を描いたものであるが。コルヴィッツのピエタは、まさに十字架上で刑死したイエス・キリストを再び自らの支給のなかに押し入れんとするものであった。母親の子宮をイメージされている琉球の民間信仰による亀甲型の巨大な墓は、死して再び母親の子宮に返し、再び母親の子宮から甦りを願ったものだと言われている。

ケーテ・コルヴィッツの世界には、�狎鐐茲判�性�甅狎鐐茲隼劼匹皚甅燹�戦争と高齢者�甅狎鐐茲伐搬沖瓩里澆覆蕕此↓狎玄圓隼犲圻甅爐海寮い箸△寮き瓩鮖�つなげる何かが存在しているように思われてならない。一度、沖縄に行って是非とも佐喜眞美術館のコルヴィッツ・コレクションを見てみたいものである。

(なお、引用はすべてハンギョレ新聞による)

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