これからだとか金だとか
これからだとか金だとかそういう問題じゃあ無いんだってことは分かるよね?あ、分からないから捨てちゃったのかな?
オレは個人的には使えれば値段がどうだとか機能がどうだとか、そんなことは関係なくずっと使う。壊れるまで。
例えばあのデカイマグカップとかがそうだ。アレは修学旅行に行った時帰りの電車に乗るまで自分用の土産を買ってなくて、駅構内の土産屋になんとなく置いてあった1000円ぐらいのカップで、見た目がどうこう言うよりデカイから買った。当時でもあのセンスはどうかと思う見た目だったが、飲み物は全て入るし、ラーメンだとかの麺類も全部アレで間に合う合理的で優れた容器だったから、どの引越時も捨てるなんて選択肢はなく大学以後も全てに持って行きこっちまで持って返った。アレはまぁ自分で落として割っちまったのだが、20年以上使ったしコスパも最高だと思う。使ってる間に愛着も当然湧く。割れた破片の一欠片は飾ってある。
他にも音楽を聴く以外に特に能のない1000円のmp3player(電池は持つ)とかもだし、5年前に撮った自分の部屋の写真にあるものはほぼ同じ位置に同じようにあった。
(参考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11813568)
靴だって同じだ。もっともアレは結構高かったけど。左右対称でない足の為+かかとがないサンダルだと法律違反だとか小見川の警察で聞いてきて、そういうものはあるか?と靴屋に聞いて1万4千円ぐらいですが売れ残りで8000円になってると言われたのでお得感があったから買った(見た目は関係なかった)。あれでフォーマルな友人の結婚式にも行ったし(許可は得た)、5年365日犬の散歩もした。それに思い出がないとでも? 無論思い出と思い入れしかない。
新しく買った靴についてはもともとまたサンダルタイプにするつもりだったけど2軒まわって、あのタイプ(かかとがあって装具着用時も問題ない幅があって前でしめるやつ)が無かったので、まぁ長い事歩くのは医者ぐらいだし、遠出するときはまだ装具を使うが今あるやつがあるからいいか、といちいち靴下履くのは面倒だと思いつつ、一歩歩くと体重移動がスムースな機構で足の負担も少ないとか、靴底がペラくないので(いわゆる運動靴なので)疲れも多少は減るかと思って買ったのだ。わかりやすく言うといつものサンダルがあってという前提で買ったのだ。まぁ装具を履いてどこか遠出する予定は今後100年無いけどね。
だから、アレを捨てるという選択肢がどうやって沸いて出て、そしてそれを何の思慮もなく選んでしまうという気持ちが全くわからない。
汚くて、臭い、からいらないというのなら、其の源であるオレを捨てろといいたい。
これからは捨てないと言うが、「これから」なんてオレにはない。少なくともあのサンダルに付随する思い出のようなものは今後は2度とない。うっかり犬の足を踏んで鳴かせてしまったり、早朝散歩で間に合わず靴に小便をかけられたり、糞を踏んだりね。
この文章は怒りからとか、嫌味とか嫌悪とかかられたものではなく、絶望と悲しみから書かれた。その思いが少しでも伝われば幸いである。人によって価値の基準なんて全く違うということを再考しくれれば、失われたサンダルも少しは浮かばれるかと思う。
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