■訪中の沖縄知事、振る舞い慎重 「中国寄り」批判警戒か
(朝日新聞デジタル - 04月14日 22:08)
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先日、日記でも書いた古関彰一著『平和憲法の深層』(ちくま新書)の中で、敗戦直後の「日本国憲法」制定過程と「沖縄県分割問題」について、取り上げてある個所がある。それは、現在、日本国において�狹傾沈��瓩�維持されているのは、�牴�縄県民�瓩里�かげだという話になるということである。
日本の敗戦後、連合国軍最高司令長官ダグラス・マッカーサーは、当時連合国や本国アメリカからの昭和天皇を�狎鐐菷蛤畆圻瓩箸靴徳閉匹垢襪海箸魘�く迫られていた。しかしマッカーサーは日本から天皇制をなくすことは、日本に内乱があコリその結果が共産国化する可能性があると危惧し、恐れていた。従って、天皇制をこれまでの政治に対して�狎簑佚�な統治者�瓩任呂覆�、政治には一切権限を持たない�狆歡�天皇制�瓩箸いΨ舛之�持することを考えていた。
さらに二度と日本に�犒街餡臭瓩靴覆い燭瓩法↓狎鐐茲諒�棄�瓩鳬陲Ψ�法の制定が必要であった。日本が二度と軍備を持たず、永遠に�犢餮△糧�動たる戦争�瓩鯤�棄すると、宣言することによって、昭和天皇の�狎鐐萓嫻ぜ圻瓩箸靴討料閉鼻△△襪い賄豕�裁判への�犹温与有瓩箸靴討僚伉遒眩忙澆靴茲Δ箸靴燭里任△襦�
よく、現行憲法はGHQがわずか一週間で書き上げた代物だという�牴�憲論者�瓩寮�治家や文化人がいるが、GHQが急いだ理由は、昭和天皇の戦争犯罪者としての訴追という問題があったからである。古関彰一氏は、�狎鐐茲諒�棄�瓩箸覆訛莇緇鬚六�の首相・幣原喜重郎とマッカーサーの「合作」だとする多くの論者に対して、憲法第九条はマッカーサーの政治的・軍事的戦略であったと考えている。わたしもその古関彰一氏の説をとりたいと考えるが、それにはまだまだ多くの見解を読み込む必要があるとも考えている。
さて、このようにマッカーサーが�狎鐐茲諒�棄�瓩鳬陲辰紳莇緇鬚醗�き換えに、昭和天皇の�狎鐐菷蛤畆圻瓩箸靴討料閉匹鯔匹い世里任△襪�、マッカーサーは軍人である。ただ、平和主義者ではなかった。マッカーサーには、武装解除し戦力を持たない日本をいかに守るのかという課題に直面するのであるが、彼には�猜�案�瓩�あった。それは沖縄など、琉球諸島をに日本から切り離し、沖縄県を�犒鎧�基地化�瓩垢襪海箸任△辰拭�その沖縄を日本から切り離すというマッカーサー案の実現には紆余曲折があったようであるが、1952年に結ばれたサンフランシスコ講和条約は日本の�犲膰�回復・自主独立�瓩鮠,措茲辰親�だと安倍晋三などは盛んに発言しているが、古関彰一氏は『シリーズ 日本の安全保障』 第一巻「沖縄/日本の安全保障」(岩波書店)の中で次のように述べられる。
「講和条約が日米安全保障条約と〈一体〉であったことは、両条約が同日に調印された事実とともに指摘されてきたが、最大の問題は、講和条約という戦争終結を法的に確定する、敗戦国にとって避けて通れない条約の中で、本来ならば当事国が任意に選択しうる安全保障条約が義務化されたことである。(中略)つまり講和条約は条約締結による占領軍の撤退と同時に日米安全保障条約で米軍の駐留を可能とする規定を挿入したのである。/そればかりか、日米安全保障条約に基づいて、米軍基地と米軍人の配慮条件を定めた日米行政協定は、条約同様の二国間協定にもかかわらず、国会で審議すらされなかった。/国民の平和と安全に重要な意味を持つ安全保障が、選択の余地のない形で、他国から一方的に押し付けられ、他国の軍事基地をともなう国家安全保障を当然のこととして受け入れさせられることになったのである。」
さらに古関彰一氏は、『平和憲法の深層』の中で次のように述べておられる。
「一九四六年四月の選挙は、改定された憲法の是非を決める選挙であったから、沖縄県民は、この憲法の是非を争う選挙の埒外に置かれたのである。つまりマッカーサーにとって「戦争の放棄」とは、沖縄に軍事要塞化を強い、本土にのみ適用される憲法で「戦争の放棄」を可能にした、と見ることができる。一方で、沖縄の基地化こそ、本土おける「平和と民主主義」の限界を示すものであった。」
戦後の一九四五年から一九七二年の沖縄復帰まで、沖縄県民は「日本国民」ではなかった。米軍統治下における�猯圧綽有瓩任△辰拭�
わたしは、古関彰一氏が引用している、沖縄選出の最後の議員となる漢那憲和(元海軍少将)が沖縄県民が選挙権を奪われるに及んでその不当性を訴えた言葉が重く脳裏に残った。
「帝国議会に於ける県民の代表を失うことは、其の福利擁護の上からも、又帝国臣民としての誇りと感情の上からも、洵に言語を絶する痛恨事であります。此の度の戦争に於いて六十万の県民が出でて軍隊に召された者も、止まって郷土に耕す者も、各々其の職域に応じて奉公の誠を尽くしました。沖縄作戦に於ては、男子は殆ど全部が陣地の構築は勿論のこと、或いは義勇軍を構成し或いは徴集されて戦列に加わり、郷土防衛に全く軍隊同様に奮闘し、師範学校及び県立一中の生徒の如き全部玉砕して居ります。又婦女子も、衛生隊、給輿隊として艇身し、国民学校の児童達までも手榴弾を持って敵陣に斬り込んでおるのであります。………凡そ此の度の戦争に於て沖縄県の払いました犠牲は、其の質に於て恐らく全国第一ではありますまいか。其の県民の忠誠に対して、政府は県民の代表が帝国議会に於て失われんとするにたりまして、あらゆる手段を尽くし、之を防ぎ止めねばならぬと存じます。」(「第八十九回帝国議会衆議院議員選挙法中改正法律案外一件委員会議録―速記」第四回、一九四五年一二月七日 五五頁)
古関彰一氏は次のように論じられている。
「沖縄からみて日本国憲法は、沖縄県民をその出発点から論外の存在としてきたことになる。その後の沖縄の基地ぺの本殿無関心ぶりの源泉も、この辺にあるのであろうか。」
わたしたちがいま、天皇制について�狆歡�天皇制のままでいい�瓩箸��犢餡噺擬鵑箸垢戮�だ�瓩箸�、あるいは�狃�性天皇を認めるべきだ�瓩箸��狹傾弔話坊呂妨造襪戮�だ�瓩箸いΦ掴世�できるのも、敗戦後、沖縄が日本国から分割され、日本国憲法の�猩棲悪瓩肪屬�れ、�猜瞳碍鎧�基地化�瓩気譴弔鼎韻討い覘爐�かげ�瓩覆里任△襦�まさしく日本本土の「平和と民主主義」は沖縄県民の犠牲の上に成り立っているのである。しかしながら、わたしたち日本本土にいる国民はそのことを知らないでいる。知らないこと、まさにそのことが言いようもない�牴�縄差別�瓩任靴�ないということに気が付くべきなのである。
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