先日の自閉症関連の日記にコメントをいただいたので、少し興味を持ちました。
私はアスペルガー症候群の人には少々密接な関わりを持ったことがあります。けれど専門ではありませんし、勉強したこともありません。精神の分野を扱う勉強といえば、教育心理や児童心理、青年心理といったものを大学で履修したという程度に知っているだけです。
自閉症にかぎらず、知的障害、学習障害といったものについて知っていたほうがいいのかもしれません。
関連書籍も読もうと思います。
この場では「境界知能」について、
http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2008/05/post_5a63.html
で気になった点をメモします。
アド仙人さん、ありがとう。
◆
境界知能というのは、知能指数(IQ)70〜84の範囲にあることをいいます。
普通知的障害(精神発達遅滞)はIQ70以下の人が該当するのですが、そこまで低くはなく、一応「正常」とされています。
(略)
しかも問題はこの境界レベルの子どもはけしてごく少数派でなく、計算上は14%にもなる一大勢力なのです(統計の初歩を勉強した人はわかると思います)。
(略)
おそらく昔だったら問題にされない知的レベルの人たちが、今の高度な情報処理が必要とされる社会の中で不適応に陥るリスクが高まっていると思います。
杉山先生も事例を取り上げて昔だったら「中卒後に良き職人、良き労働者として十分に適応していたはずである」といっています。
ここからは私見ですが、この境界知能の人たちは、社会の良い意味での底辺、土台を支えてくれていた層だと思うのです。
その多くが職人や建設、土木、港湾、運輸、農林水産関係などの世界に労働者として入っていて、文字通り社会を実質レベルで作ってくれていたと思います。
それに比べて情報や金融、さらに心理なんてやっている我々は実態のない虚業みたいなものですよ。
その大事な層がどんどん切り崩されている。
そして、情報リテラシーにどうしても弱い、ナイーブな人たちが多いのでプロパガンダに乗りやすい。
(略)
また、IQというのはけして固定的なものではなく、実はこの境界知能の人たちは最も教育効果が上がりやすいのではないかと思います。杉山先生も
境界知能の子どもとは、いわば教師の力量がもっともよく表れる児童でもある。
とおっしゃってます。
社会や教育がもっと目を向けていく必要があります。
◆
(超耳)
気になるポイントは、
>この境界レベルの子どもはけしてごく少数派でなく、計算上は14%にもなる一大勢力なのです
14%です。日常生活を送っていれば誰でも数人から数十人に出会っているはずですよね。知り合いの名前を100人挙げれば数人いておかしくない。少なくとも義務教育期間のうちにはまるまる14%いたということになります。
子供と関わる機会が多い人はもっとずっと出会うわけですよね。
間違いなく私も相当数と関わっているはずです。
でも、スキルは身に付けることができる。伸長させることができる。
知的活動というのは複雑です。高度だとも言えますが、言い換えれば別のやり方で補うこともしやすいと言えるものです。
>境界知能の子どもとは、いわば教師の力量がもっともよく表れる児童でもある。
きっとそうなんでしょうね。
力量が不足している教師ならば、「なんで自分と同じようにやれないんだ」とかんしゃくを起こすかもしれません。それが暗記だのみのやり方だったりしたら、暗記に向かない子は手も足も出ない状況ですよね。地獄です。
>昔だったら「中卒後に良き職人、良き労働者として十分に適応していたはずである」
これ、よく思うのですよねー。
たしかに一面、ヒトの長所は知能だけです。だから知能を最大に生かす仕事がいちばん大きなレバレッジ(てこ)を利かせられる。端的にいえば、ロボットを作るだけの知能があればなんでもロボットにやらせることができるという具合にです。
でもヒトの知能によって補った「ほうがいい」仕事というのだって無数にあります。先ほどのロボットでいえば運用するときにあらかじめ予測して設置したセンサーによる検知というのはどうしても穴がありムダがあるものです。ヒトの知能で補うのがいい。そしてその場合の知能というのは決して最高のものでなくていいし、知能の高低によってそれほど成果が違うものでもない。そういう分野ってたくさんあるというか、まだまだ多くの分野がそうですよね。最先端技術であるはずの原発でさえ、作業員の方は決して原子力のプロではありません。点検や保守はそういった方が十分にやれています(もちろん私自身も原子力のげの字もわからないので点検や保守しかできないですよ)
ただ、確実に知能への要求は高まっています。たぶん二度と低くならない。
淘汰圧などと言ってしまうには厳しすぎる速度で、文明のほうが進んでいってしまっています。私たちの肉体のほうは数十年のサイクルでしか新陳代謝(世代交代)しないというのに。
不勉強なままおいそれとは現状に代わる案というものを出すことはできません。
けれども14%いるし、生まれてくる層に対しても、十分に幸せに生きられる受け皿(という言い方はあまりにも偉そうな立場で言うようですけれど、ここはあくまで理屈上の話ということでご容赦いただければと思います)があったらいなと思います。
もし私が14%のうちに入っていたとしたら。世の中の多くの仕事に適合できないと自分自身に対して感じるとしたら。そんな私には生き物の世話をする仕事があったらいいなあと思います。わりと生き物が好きなのですよー。イヌにも好かれるほうです。(ほんとだよ!)
不勉強なまま、短絡的な結論でラクをしようとすることだけは、避けないといけないと考えます。
「境界知能の人は○○すればいい」式の暴論は、もし自分がそういう片付け方をされたら激しい憤りを覚えることでしょうから、したくないのです。(誰だってそうですよね)
また逆に「境界知能だからほかの人がやっていることをしなくていい」という逆の短絡もダメだと思います。甘やかしはいじめという最悪の報復を生みます。バカ教師がよくやる誤りですよね。むしろほんの少し、ほかの人より努力を多めにして、結果が多少は足りなくても周りが「いいよ、一生懸命やってくれたね」と思える状況を作るのがすぐれたトップ、場の支配者というものでしょうにね。厳しくして、一見「あの人ちょっとね」と言われるくらい、教師なら甘んじたらいい。不思議と、ちゃんと当人には伝わっているものですよ。どうして甘いことを言わないのかってことくらい。知能が人並みにあるくせに考えることをサボっている愚か者どもよりもずっとわかってくれるもんです。
ちょっと生意気言いました。私はほんの少ししかこれらの問題を抱えた人と関わった経験がないのであんまり偉そうに言ったらいけないですよね。でも、言わない・調べられていないだけで、たぶん私が自覚しているよりずっと多くの数の人と関わっているはずです。それに免じて、ちょっとの生意気をお許しいただければと願います。
上記のサイトでお勧めされている書籍を読もうかしらん。
『ポジティブ心理学―21世紀の心理学の可能性』
今日はもうアマゾンで世界史系の参考書を10冊ほど買ってしまっているんですけれど。
でも費用対効果が大きいモノを買うのにあんまりためらったらいけないですよね。
置き場所さえあればじゃんじゃか買うんですけれど。置き場所ほしいです。
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