「空気を読めることは善で、空気を読めないことは悪だ」という前提で、
物事を考えてしまうと本質を見ることは出来ない。
何事も目的が一番重要で、
何の為に空気を読むのか、その目的がなければならないはずだ。
空気を読むこと自体が目的だとすれば、それは全体主義だ。
「空気を読めない人」と断罪された人は村八分にされ、やがて行き場を失うだろう。
日本人は目的を忘れてしまい、行為そのものを目的にしてしまう民族なのである。
「空気を読むこと」と同様、努力する目的を忘れて、
努力すること自体を目的にしてしまい、
一体何のための努力であったのか、初心を忘れてしまう日本人は多い。
闇雲に「空気を読め」だとか「努力しろ」と言っても無意味であることに気付くべきだ。
何の為に空気を読むべきか、を先ず考えるべきだ。
仮にもしその目的が合理的なら、空気を読むことを否定しない。
基本的に人間は我がままであり、自己中心的である。
日本人は他人に空気を読ませることを求めるが、
自分自身はどこまで空気を読んでいるのか、理解しない人ばかりだ。
他人に「空気を読め」と強制するのは
独裁者が専属料理人に
「オレ様の食いたい物を考えて作って来い」と命令するのと同じで傲慢過ぎる。
「いかにして他人に空気を読ませるか」ばかりを考え、
自分のことは棚に上げる傲慢な日本人が社会に悪い空気を撒き散らしているのである。
自分が出来ないことを他人に押し付けるのは子供のすることだ。
「こうすれば相手に喜ばれますよ」といい、
それをしない人を「気が利かない人」と断定してしまう無神経さには薄ら寒い空気を感じる。
自分が一体何を求めているのか、を他人に説明出来ないのは子供であり
「話さなくても空気を読めば分かるはず」と主張するのは駄々っ子にしか過ぎない。
他人が何を求めているのか知りたければ、質問すればいいだけのことだし、
自分が何をして欲しいのか知ってもらいたければ説明すればいいだけのことだ。
空気を勝手に読んで勘違いしてからでは遅い。
教えたければ口を使う。
訊きたければ耳を使う。
せっかく口と耳があるのだから目を使って相手の顔色を窺う必要はない。
超能力があれば話は別だが。
つまり日本人は超能力を信じているのだ。
だから日本はカルト国家だといえる。
日本人が精神論を好むのには理由があるのだ。
空気が読めない人が多いと思う都道府県ランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=2528164
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