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2026年06月16日10:41

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閏四月 慶應四年

戊辰戦争何があったかシリーズ31

6月16日。戊辰戦争の暦で見ると、慶応4年・閏4月26日/1868年6月16日
慶応4年は4月と5月の間に「閏4月」が入る特別な年で、閏4月26日が西暦6月16日に対応する

この日は、ひと言でいうと――

会津藩が白河防衛を本格化させた日

数日前の6月10日/閏4月20日、会津藩・旧幕府兵は、会津の南の玄関口である白河小峰城を攻め取った。白河は奥州街道の要で、ここを新政府軍に握られると、会津城下への道が一気に危なくなる。だから会津にとって白河は、ただの城ではなく、会津を守る前線の盾だったんだ。白河市も、白河戦争を「閏4月から7月」にかけて起きた、戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた戦いとして説明している

そして昨日にあたる閏4月25日/6月15日、白坂宿方面へ進んできた新政府軍を、会津藩側が撃退した。ここで重要なのが、山口二郎、つまり斎藤一。宇都宮で負傷した土方歳三に代わり、新選組を率いて白河小峰城に入り、隊員約130人とともに白河防衛に加わっていた。白河市の解説でも、山口二郎は閏4月25日の戦いで、白河へ進軍してくる新政府軍の侵攻を撃退したと紹介されている

そして今日、閏4月26日/6月16日。
白河口の総督として、会津藩家老の西郷頼母が白河城に入り、副総督として若年寄の横山主税も入城した。さらに、仙台藩・棚倉藩・二本松藩の増援も到着し、会津・奥羽側は白河を守る体制を一気に厚くしていく。八重の桜関連史跡解説でも、翌26日に西郷頼母・横山主税が白河城に入り、増援部隊も到着したと整理されている

つまり今日の白河は、こういう空気だったと思う。

「昨日は新政府軍を退けた。ならば、ここで白河を守り切れば、会津を守れるかもしれない」

でも、現実はとても厳しかった。新政府軍も白河奪還へ向けて兵を増やし、戦力は同盟軍側がおよそ2,500人、新政府軍側がおよそ700人にまで膨らんでいったとされる。数では同盟軍が優勢に見えたけれど、新政府軍は薩摩・長州などを中心に、近代的な銃砲と統一された指揮で攻めてくる。ここから白河は、会津戦争最大級の激戦地になっていく。

背景では、奥羽全体も大きく揺れていた。世良修蔵暗殺の3日後、閏4月23日/6月13日には、奥羽諸藩が白石で盟約書に調印し、福島に軍事局を置いて新政府軍と対峙することを決めていた。つまり今日6月16日は、会津一藩だけの防衛戦ではなく、奥羽列藩同盟が新政府軍と向き合う戦争へ変わっていく途中の一日でもあった。

さらに西の越後口では、少し前の6月11日〜14日/閏4月21日〜24日に三国峠の戦いが起き、新政府軍が勝利していた。つまり会津は、南の白河口だけでなく、西の越後口からも圧迫され始めていたんだ。

だから今日6月16日を胸にくる言葉でまとめるなら――

昨日の勝利に望みをつなぎ、西郷頼母と横山主税が白河城に入り、会津が“南の盾”を本気で固めた日。

でもその盾には、すでに新政府軍の大きな圧力が迫っていた。
ここからわずか数日後、白河小峰城はさらに大きな攻防に飲み込まれ、会津戦争は後戻りできない激戦へ進んでいく🥺

次回乞うご期待exclamation ×2


(by 会津藩 田中玄亮氏

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