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2022年02月03日06:54

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佐々木盛綱の子供 の雑感

少し前の日記で、佐々木四兄弟の三男・盛綱を「工藤祐経と双六してる最中に喧嘩。ブチ切れて石をぶん投げて、祐経の頭をかち割ってしまい一時失脚。ある意味で鎌倉武士らしい人」とか書いたけれど、かなり間違っていたことに気づく。実際には

1、頼朝が双六大会を開催して、盛綱と頼朝が対戦。当然周りをギャラリーが取り囲んだ。
2、元服するかしないかのくらいの年齢だった盛綱の子・信実も、ギャラリーの1人だった。
3、工藤祐経が遅れて会場に到着。祐経も頼朝の対戦を見ようとするが席が空いていない。
4、そこで祐経は、ギャラリーの中で最も年若だった信実をヒョイッとどかすと、その席に自分で座った。
5、「侮られた」と感じた信実は激昂。その辺にあった石で祐経を殴打。祐経は流血。
6、我に返った信実は その場から逐電し、さっさと出家。
7、責任を問われた盛綱は「信実はすでに勘当済みなので ウチが責任を取るいわれはない」と主張
8、祐経も「いや、あれは俺も悪かったし」ということで この件は手打ちになった

ということで、盛綱が祐経を殴ったわけでもないし、責任とって出家したのはあくまで信実であって、盛綱は特に処罰されていなかった。私は 盛綱と信実の話を混同してしまっていたらしい。

ちなみに出家+勘当の信実は、その後は普通に御家人に戻っていたみたいで、承久の乱で武功を挙げて備前守護職についている。子孫は越後に多く、新発田氏とかがそれに当たる。

幕府の信任を受けて上方を任されて、その結果として承久の乱では上皇方につくことになり殺された佐々木四兄弟の次男・経高、佐々木四兄弟長男 定綱の子・広綱のことを考えると、やらかしで一旦失脚したのは 信実にはかえって幸運だったのかもしれない。
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