論破語りの論破知らずなのかしらん?
私たちは「電気柵」の有用性を知っています。ビリっと痺れる柵があると、害獣が痛みを嫌って近づきません。
論破に「人を遠ざける」という大切な効能があるからこそ、ときにはこれを学ぶといいのでは?
わりとダメな記事でした。
鉄砲も包丁も火も危険があるからやめましょう式だもんね。デメリットだけ並べ立てれば読者が辟易として「こいつと話しても無駄だな」とあきらめると思ったのかな?
>議論のゴールは「相手に勝つこと」ではありません。あくまで「お互いに納得すること」です。
昨今の論破ブームというものがもし存在するのなら、そのゴールは変だなという気がします。
ネット上で繰り広げられる口喧嘩または議論めいたものの多くは、第三者の視点にさらされているからです。だから議論の目的は、第三者のジャッジを意識して、多くの人に誤った考えを捨てさせて優れた考えを持つように誘導することであったほうがいいのじゃないかと思います。
「お互いに」は自分と相手の二者でしょう? 相手は間違っていたり劣った意見だったら必ず納得するの? 記事内でふれているとおり、しないんじゃないの? じゃあ、「お互いに納得」なんて絵に描いた餅もいいところじゃないの? 小学生みたいな綺麗事じゃない? 人生経験足りてなくない?
バカはなにを言っても「お互いに納得」になんか至りません。けだものと同じで、電気柵でビリっとするのを嫌うことはできても、「納得」なんていう能力は持ちません。持っていたのだけれど、自ら選んで捨て去ったのです。それでも人間ですから、人権があるので、愚行権を行使することを誰も妨げることができません。納得しない権利はあるのです。
だから、バカは孤独のまま放置されて、心ある人だけが納得するというのがベターだし、実際上のベストです。多くの大人はよくわかっていて、実際にそうしていると思うんですよね。「互いに納得」はごくごくレアなケース。それだけを唯一のゴールとしていると時間をいくらかけても終わらないですよね。
>僕には世間で言われている「論破」がまるでかっこいいものだという印象がついているように見えます。ですが、これは生産性がないだけでなく、当人同士の仲を悪化させる愚かな行為です。
こんなこと、小学生がよく言っていることですよ?
当人同士なんかどうでもいいではないですか。
口喧嘩なり議論なりを視聴している全体が知の向上にありつけるなら、それがたとえ個人的なマウンティングの欲から出たものであっても、有益なんですよ。
>両者がともにいい点、悪い点を比較、検討することで、最終的なお互いの合意を得ることができます。
それが「できる」人にはこの記事いらないじゃん? 「できない」人には犬に論語もいいところじゃん?
ちょっとこっけいだな。
>一方で、自分の意見を無理やり通すという誤った「論破」をしてしまうと、必ず「意見が通らなかった人」に何かしらの不満が残ります。
この記事は「自分の意見を無理やり通す」なんていうハラスメント体質の人の話をしていたのか! タイトル詐欺ですね。
そんなのがダメなのは自明だから、なぜダメかという話をずっとしてくれなくてもよかったのに。読んで損したなあ。
「自分の意見を無理やり通すのはいけないですよ」っていう小学校の道徳っぽいタイトルにしないと。
いえ、ほんとは私のような愚か者でさえ気づいています。自分で言いだしたことなのに、「論破」なるものを否定したいがあまり、「論破」を自らの手で曲解するほかなかったのです。
>これは論破ではありません。ただのいじめやマウンティングです。
で終わりにしておけばよかったのに。
私自身はネットでも意見がぶつかり論破が起こる場面を何度も見ています。震災のとき、新型インフルエンザのとき、新型コロナウイルスのとき、デマを吹聴する愚かな魂が論破されるのを見ては学ぶことができました。ほかのこまごましたことであっても同様です。
第三者として、間違っている意見が間違っているとわかるのは、たいへん助かります。
誰かが誰かを論破してくれる毎日が続いているからこそ、ラクができています。なにもかもを自分自身の頭で判断するのでは時間と労力が浪費されるばかりです。
是々非々で、これからもたくさんの論破を。
でもすべての人が論破する必要はありません。すべての人が意見を表明する必要はありません。考えたくない人は黙っていることで賢者としてふるまえます。口を利いたら論破されるリスクを背負うという世の理です。
◆
■東大生が「“すぐに論破したがる人”は頭が悪すぎる」と考える理由
(日刊SPA! - 09月12日 16:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=6664559
写真
―[貧困東大生・布施川天馬]―
現役東大生の布施川天馬と申します。学生生活の傍ら、ライターとして受験に関する情報発信などをしています。
◆東大生が「論破ブーム」に抱く違和感
皆さんは日常の中で「論破」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか? 最近ではYouTubeのみならず、テレビ番組などでもこの言葉が取り上げられています。
こうした番組では「論破=相手の意見を封殺して倒すこと」と思われているようです。
ですが、実はこの「論破」の用法は間違っています。
これは論破ではありません。ただのいじめやマウンティングです。
◆適切な議論が行われていないなら…
なぜなら、これらの「論破」は、議論という重要なプロセスを経ていないからです。議論を経て、相手の説を破ることを論破というのであって、適切な議論がなされていないなら、それは「ただの子供のケンカ」と呼ぶのが相応しいでしょう。
東大生はこのような間違った「論破」をしません。それは、大学の授業やゼミナールなどで、議論について徹底的に学ばされるためです。一方的に相手の意見を封殺することは、議論ではないということを知っています。
今回はYouTubeやテレビにはびこる「間違った論破」についてお伝えします。
◆議論のゴールは「相手に勝つこと」ではない
そもそも、議論とはただの口げんかのことではありません。反対意見を持った人たちが集まれば、自然と議論になるわけではないのです。
議論とは、異なる意見を持った人々同士が話し合いを経て、双方の妥協点を探っていくこと。議論のゴールは「相手に勝つこと」ではありません。あくまで「お互いに納得すること」です。
なので、どちらかが明らかにおかしいことを言っている場合には、議論が成立しません。
たとえば、どちらか一方が「1+1=3である」というような、明らかに間違ったことを言っている場合、これは議論にならないわけです。
◆お互いの合意を得るためにやるべきこと
また、一方的に相手方の意見を批判して、強制的に試合終了とするのもまた議論ではありません。相手方との対話、話し合いという議論の本質を無視する行為だからです。
議論をする場合、必ず「双方ともに」それぞれの利点や批判点、それに対する反論を行うことが必要になります。これは議論をフェアに進行していくためです。
両者がともにいい点、悪い点を比較、検討することで、最終的なお互いの合意を得ることができます。
◆間違った「論破」はただのマウンティング
なぜここまで「双方の合意」とか「妥協」とかにこだわるのかといえば、それは後々に争いの種を残さないようにするためだと僕は考えています。
議論は仲が悪くならないようにしつつ、意見対立を解決するための極めて賢い方法なのです。
一方で、自分の意見を無理やり通すという誤った「論破」をしてしまうと、必ず「意見が通らなかった人」に何かしらの不満が残ります。
僕には世間で言われている「論破」がまるでかっこいいものだという印象がついているように見えます。ですが、これは生産性がないだけでなく、当人同士の仲を悪化させる愚かな行為です。
ですから、友人や会社の同僚、パートナーなどとの話し合いですぐに「論破」をしたがる人は要注意といえます。
この「論破」は、ゆくゆく人間関係のトラブルにつながるためです。
◆「一方的」な時点で議論は成立していない
自分の説のいいところと、相手の説の悪いところだけを並べても、「ハイ、論破」とはなりません。
なぜなら、議論の相手は「自分の意見が正しい」という思いだからです。なので、一方的に終わらせようとしても、相手から「おいおい、待ってくれよ。俺の意見も聞いてくれ」と反論が来るでしょう。
逆にこのような一方的な「論破」が成立するなら、「相手が反論していないだけ」ということになります。
◆論破には何の価値もない理由
「論破」に成功するということは、別に「議論に勝っている」わけではありません。議論以外に、「反論ができなくなるような何か」があり、そのせいで反論していないだけなのです。
「議論以外の点」とは、たとえば、「相手との身分差(上司と部下など)」や「気の強さ」や「体の大きさ」などがあげられます。
たまに「ぼったくりバーで相手の言い分がめちゃくちゃなのに、反論もせず代金を払ってしまった」という失敗談を聞きます。
このシチュエーションは「論破」の説明にぴったりです。ここで反論しなかったのは、反論できなかったわけではなく、相手が怖くて反論できなかったからですよね。
◆言葉でのコミュニケーションを拒否した蛮行
結局、やっていることの本質は野生の動物と変わりません。威嚇して自分の強さをアピールし、言葉というコミュニケーションツールを自ら放棄しているのですから、とてもばかばかしい行いです。
残念ながら、いくら他人を「論破」しても、それは「自分は頭がいい」というアピールにはなりません。
むしろ、将来的な人間関係の悪化を招くので、とても頭が悪い方法です。
◆「論破」なんかに手間や時間を費やしてはいけない
つまり「自分は性格が悪いよ!」と明かしているようなものですから、周りからどんどん人が離れていきます。最終的にはひとりぼっちになってしまいますが、きっとそのときには「孤高の論破王」として名を馳せているのではないでしょうか?
こんなつまらないことをしても、一時的に優越感が満たされるだけです。何の意味もありませんし、むしろ失うもののほうがずっと大きい。
ちまたでは「論破」ブームが続いているようですが、そんな愚かなことに時間を費やすよりも、友人とお互いに歩み寄りながら関係を構築したほうが、ずっと「頭がよい人生」を送れるのではないでしょうか。
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa)
◆
(超耳)
もちろん私自身もこの日記を書くことで記者の方が考えを改めてくれて「互いに合意」なんていう理想的なゴールに到れるなどと夢にも思いません。
時間を置いた私自身という(ほとんど)第三者の人間がジャッジする材料になればいいのです。あるいは読んでくださった方が参考にしてくだされば。
あとでこの記事に関するつぶやきや日記をブラウズしてみようと思うのですが、「キミもそうやって『論破』を『論破』したいだけだよね?」という感想がありそうだなあと予測しています。
建設的な話ができない人っぽいもん。
ログインしてコメントを確認・投稿する