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2019年11月04日11:05

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昨夜、アマゾンで『鈴木大拙全集〈第8巻〉日本的霊性 日本の霊性化』(岩波書店1999年10月刊行)を購入する

昨夜、アマゾンにて『鈴木大拙全集〈第8巻〉日本的霊性 日本の霊性化』(岩波書店1999年10月刊行)を注文する。

鈴木大拙の『日本的霊性』に関しては、『日本的霊性 完全版』 (角川ソフィア文庫)と『 日本的霊性』 (岩波文庫)をすでに持ってはいる。しかし堀尾孟先生をはじめとして、各書籍での『日本的霊性』に関する引用文の出典はすべて岩波書店刊行の『鈴木大拙全集』版となっている。

わたしとしては、その引用されている箇所や前後の文章も読みたいと思い、全集版の『日本的霊性』を購入することにした。

『日本的霊性』は、鈴木大拙の主著の一つであり、日本の精神史に関する書籍としても日本を代表する書籍である。また鈴木大拙が『日本的霊性』を執筆した昭和17年は、日本国内が�犒街饉腟漸臭甍貎Г棒�まりつつある社会的風潮のなかで、古事記や日本書紀をもって日本人の宗教的自覚、真の主体性の確立とせずに、鎌倉仏教の成立、とくに法然・親鸞の出現をもってして日本人の宗教的自覚、真の主体性の確立、いわゆる日本的霊性の覚醒とした点に、わたしは注目している。

さらに鈴木大拙が法然と親鸞の二人を�牋貎余劉瓩箸靴薪澄△修靴董崙�本的霊性」の覚醒要因に、�狢臙廊甅猝噂悪瓩箸い�事柄をあげている点、換言するならば、�狢臙廊瓩筬猝噂悪瓩�法然・親鸞の出現の主な要因となった点である。つまり鈴木大拙は仏教の歴史観に�狢臙廊甅猝噂悪瓩鮟鼎�を置いた点である。

鈴木大拙は、日本の精神史を執筆する際に、どこまでも文献的・客観的・科学的であることを重視したという。それは昭和17年という時代的粉式における神話的・情緒的・主観的であることに抗った姿勢なのかもしれない。

わたしは、中島岳志さんの『親鸞と日本主義』で軍国主義化していく大谷大学の様子を見て取ったが、そのような同じ大谷大学の仏教学・宗教学の教授であった鈴木大拙の目に軍国主義化していく大谷大学がどのように映っていたのかを考える上でも、『日本的霊性』は貴重な書籍なのである。

そのような個人的関心事からも、『鈴木大拙全集〈第8巻〉日本的霊性 日本の霊性化』(岩波書店1999年10月刊行)を、今回購入することにした。32巻版の岩波書店刊行の『鈴木大拙全集』が刊行されたのは、わたしが大谷大学短期大学部仏教科の二回生の時であった。当時、短期大学部仏教科の研究室の助手をやっておられた小谷信千代先生の、
「鈴木大拙はいつか読みたくなるから」
という言葉からわたしも鈴木大拙全集を全巻購入することにした。しかしわたしには�猯詭畋臉曚�読みたくなる時�瓩亘�れることもなく、今回の引越の際に、32巻版の鈴木大拙全集を手放すことにした。そして今になって、『鈴木大拙全集〈第8巻〉日本的霊性 日本の霊性化』が欲しくなったのだ。

しかしもっと鈴木大拙の『日本的霊性』を見直されてもいい時期に来ている。鈴木大拙の『日本的霊性』は、唯一仏教における歴史観を提示した書籍であるからだ、
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