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2019年10月13日12:43

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(書評)『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』 嘉戸一将〈著〉を読んで

(書評)『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』 嘉戸一将〈著〉 
■法秩序を支える無で有なるもの
 本書の主題は、中世との切断を意識した近代の権力が、新たな法秩序の創造と正統性への「信」=信用を調達するために、創造主の連想とともに動員した「主権」の観念である。欲望の「馴致(じゅんち)」を目的とする法は、「それ自体では基盤・根拠をもっていない」ため、法や制度体のメカニズムを作動させる「方便」として、「記念碑的主体」としての主権者(「君主」「国民」など)が仮構された。
 主権が至高存在である以上、種や類による概念的把握は、性質上不可能だ。諦めて類比の方法による場合には、各種の神の表象とともに神学が介入してくる。やむなく独立性や最高性など属性や様態の描写で済ませることが多いが、俗流化の危険を免れない。実際、「社会編制や変革の条件」として、「決断」の政治や「国民投票的正統性」のために主権の全能者イメージが動員される一方、グローバル化した世界のもとで「主権国家の死」が語られる。
 けれども、著者は、「それらを当為のレヴェルで承認ないし否認する審級」の役割に照準する。この点、「法規範の出所としての全能者の人格」を人に演じさせた代償として、決断主義の主権者論が跋扈(ばっこ)するが、それは主権論とは「別の実存的―政治的理念」に過ぎず、「〈他なるもの〉を同一性原理に回収」する危険を孕(はら)む。そこで著者は、ローマ法学者P・ルジャンドルに導かれて、決断主義という「詰物(つめもの)」をしない「空虚な枠組(わくぐみ)」としての主権を模索する。
 ただ、この「無にして有なる」ものは、神話的起源によって表象され、かつ実体化されやすい。それは天皇制と記紀神話において顕著であるため、西欧起源の主権論の実験場として、ここに日本が浮上する。かねて関心の中心にある西田幾多郎が説く〈絶対無〉の主権論を補助線として、主権論の受容と変容を辿(たど)る叙述はさすがに圧巻であるが、そこで西田とルジャンドルを出会わせるのが本書における著者の新境地である。
 評・石川健治(東京大学教授・憲法学)
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 『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』 嘉戸一将〈著〉 岩波書店 9900円
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 かど・かずまさ 70年生まれ。龍谷大准教授(法思想史、政治思想史)。著書『西田幾多郎と国家への問い』など。
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上記は、昨日の朝日新聞に掲載された、石川健治(東京大学教授・憲法学)「(書評)『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』 嘉戸一将〈著〉」の全文である。

�牋譴弔遼|畚�の下で多様な諸個人が暮らすために、近代は〈主権〉概念を必要とした。ローマ法再発見から戦前の国体概念まで、主権をめぐるパラドクスに満ちた歴史を辿り、私たちと法・国家・権力の重層的関係を問い直す��

と、岩波書店の新刊案内では、嘉戸一将著『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』の内容をこのように解説していた。この岩波書店の新刊案内で見たときから気にはなっていた一冊ではあった。ただ定価が9,900円というところで少し購入を躊躇していたが、石川健治氏の書評を読んで、やはり購入したいと考えるようになった。

�爐韻譴匹癲�著者は、「それらを当為のレヴェルで承認ないし否認する審級」の役割に照準する。この点、「法規範の出所としての全能者の人格」を人に演じさせた代償として、決断主義の主権者論が跋扈(ばっこ)するが、それは主権論とは「別の実存的―政治的理念」に過ぎず、「〈他なるもの〉を同一性原理に回収」する危険を孕(はら)む。そこで著者は、ローマ法学者P・ルジャンドルに導かれて、決断主義という「詰物(つめもの)」をしない「空虚な枠組(わくぐみ)」としての主権を模索する。/ ただ、この「無にして有なる」ものは、神話的起源によって表象され、かつ実体化されやすい。それは天皇制と記紀神話において顕著であるため、西欧起源の主権論の実験場として、ここに日本が浮上する。かねて関心の中心にある西田幾多郎が説く〈絶対無〉の主権論を補助線として、主権論の受容と変容を辿(たど)る叙述はさすがに圧巻であるが、そこで西田とルジャンドルを出会わせるのが本書における著者の新境地である。��

と、石川健治氏は書いている。たしかに、西田幾多郎は『日本文化の問題』のなかで「大日本帝国憲法」における天皇制を�猝圭眦�自己同一�瓩箸靴騰狎簑侈気力斥��瓩鬚發辰得睫世靴茲Δ箸靴討い襦�そこに�猝声0歐鍬畍紊龍畭綟�本国家の成立過程を生きた西田幾多郎の�犖続Ν瓩發△辰燭里任△蹐Δ�、その�犖続Ν瓩�戦後西田幾多郎の�狎簑侈気箸靴討療傾沈��瓩箸靴董�国体の在り方やあの戦争に協力ないし容認したと取られている。果たしてそうだろうか、�犁�都学派の戦争責任�瓩鯡笋ぢ海韻襪錣燭靴砲蓮△海量簑蠅亡悗垢覘猖\�度史�瓩箸い辰浸訶世�らの考察も必要となってくるのである。

『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』の著者である嘉戸一将氏の著作『西田幾多郎と国家への問い』(以文社)はかつては購入した記録はあるが、このマンションに引越をしてくる際に古本屋に売り払った書籍であるか否か覚えておらず、この部屋に来てそれらしきタイトルの書籍は見たように記憶はあるが、手動式車椅子を屋内に取り込んでいるので、探しに行くこともできない。

嘉戸一将氏の著作『西田幾多郎と国家への問い』も『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』と併せて一読してみたい気になっている。いずれにせよ、『主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ』は読んでおきたい一冊である。
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