午後0時半から午後4時半までテニスの仲間とテニスの練習をした。
だいぶ涼しくなって来た。
テニスをするには最高の天気だった。
トルコとアメリカの対立が
世界的にクローズアップされていますが、
最近のエルドアン大統領の政策、
厳密には「エルドアン大統領の権力強化」は、
実に興味深い現象です。
トルコとは、実は「突厥」のことです。
突厥は、西暦500年代にモンゴル高原から
アラル海にかけて大帝国を建国した
「テュルク」を意味しています。
もっとも、テュルクとトルコは同じ意味です。
日本の歴史学において、
ユーラシアのトルコ系遊牧民をテュルク、
トルコ共和国関連をトルコと
呼び分けているに過ぎません。
テュルク系遊牧民は、
セルジューク朝時代にアナトリア
(小アジア)にまで進出。
セルジューク朝の分家である
ルーム・セルジュークから独立したのが
「オスマン帝国」になります。
(オスマン・トルコという呼び名は間違い)
一時はウィーンを包囲し、
ヨーロッパを恐怖に陥れたオスマン帝国は、
次第に衰退。
第一次世界大戦で解体されたのですが、
その際にオスマン軍人
ムスタファ・ケマル・アタテュルクらが
トルコ独立戦争を戦い、
建国されたのがトルコ共和国です。
ケマル・アタテュルクは
アナトリア(及びイスタンブール)の
旧オスマン帝国臣民を
一つの国民としてまとめるために、
「テュルク=トルコ民族の国」という
アイデンティティを打ち出しました。
同時に、ケマル・アタテュルクは
オスマン弱体化の原因を
「イスラム教」にあると分析。
トルコ共和国は「政教分離」
「世俗主義」であるべきとし、
憲法から「イスラム教を国教とする」
という文言を排除させました。
アタテュルクの思想を受け継いだ軍は、
世俗主義の守護者として、
国内で繰り返し勃興するイスラム勢力を
「クーデター」という手段に
訴えてでも叩き潰してきたのです。
トルコ共和国建国から、間もなく100年。
トルコで政権を握るエルドアン大統領が
率いる公正発展党の前身は、
1997年に非合法化された
イスラム主義系政党である福祉党です。
2002年に政権を握った公正発展党は、
当初は宗教色を抑えていましたが、
次第に「イスラムの党」としての
色合いが濃くなっていきます。
そして、トルコ国民はむしろ
「イスラム主義」の公正発展党を
支持したのです。
また、エルドアン大統領は、
過去のトルコにおいて政権分離、
世俗主義の守護者であった
軍の権力を弱体化させました。
2016年にトルコ軍の一部が
反乱するクーデター未遂事件が
起きましたが、鎮圧されます。
同時に、エルドアン大統領は
それまでは「お飾り」であった
大統領職の権限を強める
憲法改正に踏み切り、
さらに自身が大統領選で
再選されたわけでございます。
現在のトルコは、まるで
「イスラムの帝国」すなわちオスマン帝国へ
先祖返りしているように見えます。
ことは「善悪」の話ではありません。
別に、西側民主主義国の政治体制や
価値観に普遍性があるわけではないのです。
しかも、エルドアン大統領は、
トルコ国民の票により大統領権限を強化し、
首相制を廃止する憲法改正を成し遂げ、
大統領職に再選されたわけでございます。
トルコ国民が「イスラムの帝国の再興」を
望んだとき、しかも民主主義により
それが成し遂げられるとなったとき、
世界はそれをどのように
評価するべきなのでしょうか。
いずれにせよ「歴史」を知らないことには、
現在のトルコで「何が起きているのか」は、
さっぱり見えてきません。
エルドアン大統領について、
「アメリカに逆らうトルコを支配する独裁者」
のような捉え方をすることは、
あまりにも単純化した物の見方であり、危険なのです。
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