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2017年05月01日22:33

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「道半ばに終わった急進的改革者」としての理事長だった。

元横綱・佐田の山が死去 79歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4553631
第50代横綱佐田の山と言えば、所謂「柏鵬時代」と言われる大鵬(第48代横綱)・柏戸(第47代横綱)の二大横綱が人気絶頂で強さを競っていた時代に活躍し、記事でも触れているようにその後を追うように出世、平幕、関脇、大関で優勝を記録して昭和40年の一月場所に第50代横綱に昇進し、大鵬・柏戸全盛の当時の大相撲にあって気力の土俵で安定した成績を挙げた横綱と言うイメージがあります。大鵬・柏戸に並ぶ存在と言うポジションには達しなかったかもしれませんが、両者とは違う個性と強さがあったかもしれません。
連覇を果たした後の場所での不成績からあっさり引退しましたが、そうした“潔さ”が、親方としてのあり方や行動にも現れていたところがあるのではと思いますね。引退を機に自身の師匠だった先代の出羽海(元幕内出羽ノ花。武蔵川を襲名して後に協会理事長)から名跡を譲り受け出羽海を襲名、第57代横綱三重ノ海(後に武蔵川親方、協会理事長)、関脇出羽の花(出来山親方)、小結大錦(山科親方)、さらには日本大学出身の小結両国(中立→境川親方、大関豪栄道などの師匠)やその大学の後輩である舞の海など、数多くの関取を育て上げた師匠でもありました。
その親方としてのハイライトとなったのは、やはり協会の理事長に就任したことでしょう。新規入門の年齢制限、勧進元が行っていた巡業を協会の自主興行に変更、幕下付出の基準の改定と言った政策を相次いで実行、改革者として行動的に取り組んだ理事長となりました。
部屋の師匠の職務を弟弟子の鷲羽山に譲って名跡を交換して境川を襲名、実質的に理事長に専念することになりましたが、年寄名跡問題の改革として年寄名跡を協会の一括管理とする方針を打ち出したことに親方衆の一部が反発、間垣(第56代横綱(二代)若乃花)と高田川(元大関前の山)が「反境川」として立候補し、理事選挙となりました。結局、この対立によって理事長選挙に出馬せず、平成4年から3期6年務めてきた理事長を退くことを余儀なくされました。理事長勇退後も、協会の審判長を務めるなど前例のないキャリアを歩んできたことでも知られますね。
そうした一方で、舞の海に対して「立ち合いには頭で当たらず、技は何をやってもいい」とする指導を行い、「技のデパート」なる土俵でのスタイルを開花させた師匠でした。舞の海はその著書「なぜ、日本人は横綱になれないのか」で感謝を込めて「佐田の山親方」と呼んでいますが、急進的な考え方ゆえにでしょうが、理事長としては“道半ばに終わった”印象は拭えませんね。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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