デフレーションとは、モノやサービスという生産された付加価値に対する支出(消費・投資)が、
モノやサービスの供給能力を下回る現象です。
消費や投資としての支出のことを「需要」と呼びます。
デフレーションとは、供給能力に対して需要が不足する現象なのです。
デフレが総需要の不足である以上、デフレ対策は「総需要を拡大する」以外には存在しません。
もっとも、デフレ期には需要が不足すると同時に、働く生産者の「所得」も減ります。
GDP三面等価の原則により、(付加価値の)生産=(消費・投資としての)支出=所得 になる以上、当たり前です。
所得が不足する民間は、需要を増やそうとはしません。
理由は、デフレ期の民間にとって、消費や投資を減らし、貯蓄を増やすことが「合理的」になってしまうためです。
デフレ対策は、政府が率先して需要を増やす以外には、存在しないのです。
具体的には、需要(ケインズの言う「有効需要」)となる「公的固定資本形成」「政府最終消費支出」の二項目を拡大することです。
それにも関わらず、我が国では「いわゆるリフレ派」理論が跋扈し、お金の発行を優先。
政府によるモノやサービスの購入(財政出動による需要創出)が置き去りにされてきました。
日本銀行がどれだけお金を発行したところで、資金需要が不足している以上、銀行の日銀当座預金残高が積み上がるだけです。
政府が国債を発行し、日銀当座預金を借り入れ、モノやサービスの購入(支払いは「政府小切手」により行われます)をしない限り、デフレ脱却は果たせないのです。
ところが、現・日本銀行副総裁の岩田規久男教授をはじめとする「いわゆるリフレ派」は、日銀が
インフレ目標を設定し、量的緩和(お金の発行)を続ければ、期待インフレ率が上がり、実質金利が下がり、投資や消費が増え、デフレ脱却できるという「仮説」を安倍政権に吹き込み、実践させました。
結果的に、我が国は2013年3月以降,実に280兆円ものお金を新たに発行したにも関わらず、インフレ率は直近でマイナス0.4%と低迷しています。
「いわゆるリフレ派」の社会実験は、失敗に終わったのです。
日銀がお金を発行する反対側で、政府が緊縮財政でモノやサービスの購入を減らし、さらに民間の消費を減らす消費税増税を強行した以上、当たり前です。
当たり前ではあるのですが、この手の「普通の正論」が受け入れられないのが、我が国の宿痾なのです。
普通の正論を理解し、国民が共有するためには、データに基づき、かつ抽象論を排した議論を
しなければなりません。
特に、日本国民が理解するべきことは、経済とお金の関係です
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