マイミクさんの日記から無断転載して文科省の言わんとするところを補っておきます。簡単に言えば「頭の悪い人は「0.3×30」が「9.0」になってしまう問題を抱えているので、仕方なしに取る必要のない(取らないほうが望ましい)0も斜線で消す指導をすることが多々ある」ということです。
あ、今ので十分わかったよという方は以下は蛇足かと思います。
ありがとうございました。あなたのこれまでの日々の研鑽の的確さに感謝いたします。
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3.9+5.1=9.0は減点対象……理由を文科省に聞いた 「減点は教員・学校の裁量次第」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4317516
Twitterに投稿された「3.9+5.1=9.0」が減点されていたとする画像が話題になりました。画像では「.0」の部分が斜線で消されており、正しい解答は小数点の付かない「9」とされていました。これについては脳科学者の茂木健一郎さんも「虐待である」としてブログで抗議するなど物議を醸しましたが、そもそもなぜこの計算が減点されてしまうのでしょうか。文部科学省に見解を聞いてみました。
【茂木健一郎さんも苦言】
このことに関して文科省は「基本的には『9』と『9.0』は同じと考えている」「『.0』を付けてはいけないというルールは学習指導要領にはなく、文科省が指示しているものではない」と説明しており、斜線で消すというルールについては「教科書にはそうするように書かれている」とのこと。しかし「『.0』を書いた場合減点するよう指導しているわけではない」と語っており、特に明確な基準の下で減点対象とされているわけではないそうです。
文科省によると、「(9.0の場合)小数点を書き忘れて90になってしまう」「小数点が必要ない計算でも『.0』を書いてしまう」という子どももいるとのこと。そういった子どもに厳密な指導をする目的で「『.0』を書いたら減点します」と教員がアナウンスすることもあるそうです。
今回のような減点は各学校や教員の裁量に委ねられている様子。なお、学校の状況や各児童の理解度も異なるため、「減点しない」という形での指導基準統一も難しいそうです。
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(超耳)
マイミクさんの日記から無断で転載します。
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神 小龍さんの日記
先生、お願いします
11月29日
(略)
色々言いたい事はあるけど、素人の諤々より
ここは先生の一言を聴きたいと思う。
と言う事で超耳先生、宜しければ一言お願いします(汗笑)。
3.9+5.1=9.0は減点対象……理由を文科省に聞いた 「減点は教員・学校の裁量次第」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4317516
2016年11月29日 21:35
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超耳 2016年11月29日 23:36
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンでおじゃるよ。
だけど数字にゃハハハンハ泣けてくる学校教育現場ですな。
・文科省が学校および教員をかばうことはいいこと。部下をかばわぬ上司はダメ上司。
・9.0を「間違い」と指導することは行き過ぎ。「間違い」とする教員は無能。ぜひ処分しましょう。
・「9が望ましい」という指導のほうが考える習慣のない子どもや大人にとっては親切な指導と言える。
最後の点について補足しておきますでおじゃる。
大多数の考える習慣のない子どもと大人は、かけ算とたし算のルールをほとんど区別しません。例を挙げれば「0.3×30」が「9.0」になってしまう個体が多いのです。こちらはダメな書き方。(よければ筆算してみてね、心ある方々へ)
こうなると「ええっ、小数点の後ろにいつも0を書くの? それともいつも書かないの?」という間違った問いを立てたくなっちゃう個体がいる。けっこうな割合でいる。気持ちはわかるのですけれどね。
教育の現場でしばしば「小数点の右側の0を取る」という指導が発生する理由のひとつだと思います。センセイが決めてくれれば疑問に思う必要もなくなるので救われるのでしょうね。「理由や理屈はめんどうだから聞きたくない。いつもつけるか、いつも取るかという結論だけ教えてほしい」。そう思う人には言いたくなくても「それならば取りましょう」と答えるほかない。こういう考え方は、勉強や教育とは不要な苦役で学歴のために仕方なく受けるものだと考えている人にとっては非常に馴染む方針です。
けれど勉強・教育はむしろ「かけ算とたし算をいろんな面から区別する」ほうのためにこそ実施されているんじゃないでしょうか? バカを量産するために学校があるんじゃないわけでおじゃるよ。ラクだからと言って権威が「こっちがいいですよ」と言ったことを鵜呑みにするような人は民主主義をダメ制度に堕させる人なんじゃないかな。そういう人が多い社会ってヨブ・トリューニヒトを大歓迎しちゃうんですよきっとね。(つまり、しちゃうんですよ!ってことですよ)
あっ、補足のほうが長くなってしまったでおじゃる。今回は珍しく文科省を褒めて現場にダメ出しすることになりちょっと意外な感じ。ワガハイ自身おどろ木ももの木さんしょの木、ブリキにタヌキにアルスラーン戦記でおじゃる。
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(超耳)
「0.3×30」が「9.0」になってしまう個体がいる・大量に発生することを見越して、小数のたし算を指導するくらいのこと、教員免許保持者ならばやってほしいものだなと思います。
たぶん多くの教員の方はやっていらっしゃるものと思います。珍しい現象だからこそ戦後教育が始まって70年も経ってからこうして発見され、話題になっているんでしょうね。
ここまで目を通してくださった方にお礼を。
おまけを書いておきます。
ネットで数学者の方がこう言ったという記事がありました。
「先生のお子さんが「3.9+5.1=9.0」と書いて減点されていたらどうしますか?」
「世の中には馬鹿に合わせなければならない時もあると話す」
研鑽を積んだ人の持つ知の力の、なんという切れ味。
「馬鹿がいる」じゃないですよ。知の力に優れた人から見ればたいていの人が馬鹿に見えるとかいうことは自明なので言う必要もない。「馬鹿に合わせなければならない時もある」と断言。
蛇足を承知で言うのですが、自衛のためとか同調圧力がとかいう狭い範囲の話ではないと思います。社会という客体を眺めたとき、自分がそれを支える主体でもあることから逃れられない。そういう話を見通しているんじゃないかなあと感じます。
完全に主体である自分一個体で済む時(それは人生の多くを占める時間だと思います)にはもちろん馬鹿に合わせなくていい。けれども社会の一部としてはたらく必要があるとき、作業の統一性という効率からは馬鹿に合わせるほうがいいケースがある。
科学分野においてはべからずでも技術分野では採用するほうがいいことがあるのに似ている気がします。
「0.3×30」が「9.0」になってしまう個体の大量発生を防ぎ、なおかつ小数のたし算もきちんと指導できる。そんな学校教育現場だったらいいですね。今回見つかったようなダメ指導をしなくて済むような世界に早く移行してもらいたいものですよね。
到達するはずがない?
いえいえ到達することだけが成果じゃないのですよ。近づいた分がすべて成果です。漸近線でいいんですよ。
たぶんね。
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