最近、EU離脱の報道でイギリスが注目を集め、イギリスをEU域内でのビジネスの拠点にする日本企業の今後が懸念されている、というニュースも耳にしますよね。
では、イギリスと日本の関係はいつ始まったのか?
答えは、幕末・明治維新です。
幕末はアメリカの黒船の印象が強いのですが、幕末維新の時代を通して日本に最も強い影響を与えたのはイギリスです。
英国の武器商人トーマス・グラバーは日本にイギリス製の武器を大量に販売しましたし、幕府を見限り倒幕のシナリオを描き、坂本龍馬を初めとする維新志士達を陰で支援していたのもイギリスだという説もあるくらいです。
当時、イギリスの首都・ロンドンは世界の中心として最も栄えていた先進都市でした。
世界中からモノが集まり、工場では物資が大量に生産され、地面の下には地下鉄が走っていました。
そしてそんな世界の覇権国家イギリスに伊藤博文(初代内閣総理大臣)、井上馨(初代外務大臣)、森有礼(初代文部大臣)といった多くの才能ある日本の若者が留学していきます。
世界最先端の都を見て、大英帝国の凄さと日本の工業化の遅れを肌で感じた彼らは勉学に励み日本の近代化に大きく貢献していきます。
イギリスはそんな「親英派」の彼らを通じて明治新政府に影響を与えていくのです。
しかし、なぜイギリスは極東の島国の明治維新に関与したのでしょうか?
当時、欧米列強は植民地争奪合戦を繰り広げていました。
日本のお隣の国、清国もイギリスにアヘン戦争を仕掛けられ、ボロボロにされてしまいます。
日本はそんな植民地争奪合戦の最後に残った極東の島国だったのです。
そして、そんな植民地支配に長けたイギリスが、なかなか言うことを聞かない旧支配者の江戸幕府を倒して、親英の新支配者を擁立し、裏で操ろうと考えていたとしても不思議ではありません。
そう、明治維新とはイギリスの世界戦略の一つだったのです。
そして、この戦略の上に踊らされたのが幕末の維新志士でした。
イギリスにとって用のなくなった彼らは明治以降、次々に暗殺されていきます。
坂本龍馬(暗殺)、大村益次郎(暗殺)、西郷隆盛(西南戦争で自刃)、大久保利通(暗殺)などなど。
最後に残った英国留学生の伊藤博文が初代内閣総理大臣になったというのは果たして偶然だったのでしょうか?
こうして歴史を辿っていくと、われわれ日本人は明治維新をもう少し詳しく知る必要があるのかもしれません…
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