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2016年05月02日18:27

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【鉄分補給】九州鉄道記念館【その3】

さて、随分間が開いてしまいましたがhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952250365&owner_id=18118933の続きです。余計なネタ書いたってことも有りますが何と言っても去る4月27日〜30日の三晩連続夜勤が厳しく心身共に疲れ果てたってのが大きいのです(^^;)
27日は本来公休日でしたがMeetingがある為出社しました。それ自体は60〜90分程度で終わり本来ならそこで帰宅できるのですが何故かその日は悪い予感がして、念のため仕事着を準備していました。そしたら…予感的中!その日夜勤に入る筈の上役が体を壊し1週間の自宅療養に入る為緊急でその日の夜勤に入ることになったのです。
翌朝、夜勤が明けてさてそろそろ仕事も終わると思ったその矢先社長から…「済まん青列車、今夜もう1回夜勤に入ってくれ」。「え?今夜ですか?」「病欠者が出てシフトが回らん。他の人間を入れたらまた更にシフトが滅茶苦茶になる。オマエ悪いが定時に上がって今夜また来てくれ。」「…はい、承知しました」…
社長からの業務命令とあればYES以外の回答はあり得ません。しかし午前9時に終わってその日の午後5時再出社、インターバルは8時間、しかも通勤にはクルマで片道1時間、往復2時間。更に徹夜明けでは安全率を見越して途中の休憩も必要ですから自宅で休める時間は更に短くなります。それでも仕事である以上とにかく何とかこなし明けて29日の朝、あと2時間で勤務終了と思っていた矢先、1本の電話が…それは29日の夜勤に入る予定の同僚女性からでした。「ゴメン、体調が悪くて仕事に行けない。1日まで休むわ」…
さあ大変!今夜勤が出来る人員が4人しかいない中、2人までがダウン!もう一人はこの日の日勤に入っているので連続して夜勤なんてとても無理。となると?そう、もう一晩29日も夜勤に入らざるを得なくなったのです。ロクに仮眠も出来ずにその日の夕方再び出社、さらにこの日の夜勤時には色々と厄介ごとが起こり往生こきました。30日やっと仕事が終わったものの、翌1日は公休には出来ず元々のシフト通りに再び夜勤。それでも一晩自宅で眠れた分まだマシでした(^^;)
そして明日3日、本来は公休日だったのですが、病欠者の代わりに出勤が決まっています。そのまま5日まで日勤、6日7日は夜勤(但し6日午前中は老母の通院介助)、8日は予定では公休ですが現状では不確実!9日も老母通院介助後に夜勤入りで10日が明け。そして11日は…別の同僚が休みを希望しているので休めない可能性もあります。それでなくても人手不足の深刻な我が業界、心身を鍛えておかないとなりません(^^;)


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元の貨物線を活用した観光鉄道です。門司港レトロ地区を通るとのことで人気があるそうですが生憎今回は時間が無くパス!いずれまた機会を見つけて…
(しかし…いくら2段リンクだからって、そしてゆっくり走るからって、元は無蓋車。揺れそうです)(^^;)

九州鉄道記念館を堪能し、パノラマ模型(16番模型のレイアウト。世間様には鉄道ジオラマと言わないと通じないかも知れませんが斯界ではこれをレイアウトと呼びます)を見学して時刻は午後2時を回りました。お土産を買って館を辞します。

さて、どこで腹ごしらえをしよう?
(思いっきり妄想が許されるなら、折角九州鉄道記念館は副館長が元日本食堂の宇都宮氏なのですから、館内に食堂車メニューを再現したレストランがあると人気が出るのでは?と思うのですが…)

駅前を見渡しても食事のできそうな店が見当たらず、あったとしても貧乏人にはおいそれと利用できそうにない店の様でしたので取敢えず門司港駅から帰途につきます。

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頭端式ホームのターミナル駅は独特の風情があります。今時の電車・気動車等々折り返しの容易な車種なら苦労はありませんが、機関車牽引列車だと結構苦労がありました。門司港駅は其れでも機回しが出来る構造ですがそれの出来なかった上野駅地平ホームは列車密度の高い中よくぞ推進運転で切り抜けたものです。
(今にして思えば…尾久と品川で受け持ちを入れ替え、東京発着列車はそのまま神田側に引き上げ尾久へ、上野発着列車もそのまま御徒町側へ引き上げ品川へ入出庫させていれば、カマの付け替えの手間も要らなかったのでは?もっとも上野〜東京間の連絡線が東北新幹線工事で使用停止になってしまってはその手は使えず、山の手貨物線経由では時間ばかりかかります。上野〜東京ラインが出来たものの既に定期客レはなくあったとしても途中の急勾配は電車にはさして問題にならなくても客レには難所になってしまいますね)

門司駅での乗り換え時間が約20分、ふと見ると階段下に嬉しいものが…立ち食い蕎麦・うどんのスタンドです。これは有り難い!低価格で暖かいものがすぐに食べられます。我が国伝統のファストフード!

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これが関東甲信越及びそれ以北なら迷わず蕎麦ですが、ここは九州、かしわ肉の入った月見うどん+いなりずしを注文します。吹きっ晒しのホームで、茹で麺をさっと湯通ししてつゆをかけただけのうどん、これ自分ちや普通のお店で食べたら大したことない代物ですが、この環境で食べると俄然美味です。

ま、目の前を行き交う列車を眺めつつ…ってこれ「鉄」ものには何よりの御馳走です。パリの三ツ星レストラン、銀座や赤坂の老舗料亭より嬉しい食事です(爆)。

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関門海峡の「渡し守」も世代交代しました。流石にEF10の時代は体験できませんでしたが、銀ガマEF30・EF81-300そしてEF81-400には幾度となくお世話になったものですが、もうこのトンネルを電機牽引の客レでくぐる機会は無さそうです。

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旅客列車自体も下関〜小倉間415系のシャトル運転で賄われている状況です。以前の様に乗り換えなしで徳山・小郡〜九州方面って芸当は今は望むべくもないのですね。

さて、下関からは再び山陽本線(厳密には門司からですが、関門トンネルを挟む同区間は直流電化してあるとはいえ門司駅構内の配線の都合で直流電気車は入線できず、またかつては門司鉄道管理局管轄、今ではJR九州管轄と、下関以東とはまるで性格を異にしています)で帰路につきます。

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やってきたのは今朝徳山で出会ったN-09編成。今や希少価値の出て来た広島更新色編成ですが、この期に及んで塗装変更されていないということは…?Xデーが近いのかも知れません。

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幡生の機留線、ニーナ様がお休み中でした。
(撮影時には気づきませんでしたが隣、瀬野八シェルパのEF210-300だったのですね。走行中の車内から一瞬のことで気付きませんでしたorz)

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その幡生駅から見た下関車両センター(って、まだ馴染めませんね(^^;)どうしても幡生工場って呼んでしまいます)には夥しい数の4ドア車が悲痛な表情で葬送行進モード。3月改正で広島Areaが3ドア車に統一された関係で、105系の内元103系から改造された4ドア車が「リストラ失業」してしまい最期の時を待っているのでした。宇部線や小野田線では流石に4ドアまでは要らないでしょうし山陽本線も岩国〜下関間では2ドア車でも対応できるのに4ドアはOverSpec、そのくせ駅間距離の長い山陽本線の線形では105系には苦しいとあっては命運は尽きたと言えましょう。
(え?常磐線快速で鳴らした1000番台からの改造車も多いじゃないかって?いやなればこそ疲労の蓄積度合いは半端じゃないでしょうね。あれは103系には最も苦手な運用でしたから…)

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小郡…もとい新山口。ここで乗り換えです。インターバルは5分あるとはいえ階段の昇り降りを伴っては高齢者や妊産婦、乳幼児連れそして車椅子や下肢に障害のある人には聊かしんどそうです。乗り換えた相手も広セキN-16編成、今回は2ドア車ばかりにあたりました。

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宇部線用の105系、1943(昭和18)年までは民鉄だっただけにどことなくその面影が残るホームと上屋と配線です。

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富海駅の旧貨物側線には保線「機械」が鎮座ましまして…もとい待機していました。見てのとおりれっきとした車輌ですが、部内では「機械」扱いです。車輛として扱うと本線上では「列車」の扱いになってしまい手続きが厄介とのこと。

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富海駅ですれ違った下り電車も広セキN-12編成。ホント、この界隈は2ドア車の巣窟です。

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福川駅で出会ったL-02編成。今改正で広ヒロから広セキへ「人事異動」です。3ドア車2000番台の40N更新車ですので界隈の115系では最後まで残るグループでしょうか?

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徳山駅に到着した広セキN-16編成。

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発車するN-16編成。見送るのは徳山で交代した運転士氏です。無事乗務を終え安堵されているようですね(^^;)

久々の鉄分補給でした。また次の機会があれば行きたいところです。


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