佐藤健志氏が、新著「戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する(徳間書店)」において、最近の日本の政界、言論界、あるいはネットに蔓延する「キッチュな現象」について詳しく解説していらっしゃいました。
ここで言うキッチュとは、
(1)明らかに無理がある建前を(2)みんなが共有している「はずだ」という点を根拠に「崇高にして達成可能な、美しい理想」のごとく絶対化し、(3)そのような姿勢を取るうえで都合の悪い一切の事柄を、汚物のごとくみなして排除したがる態度とのことす。
色々と思い当たる節があるのではないかと存じます。
最近、田母神俊雄氏と倉山満氏の二人が、明確な「嘘つき」であることが確定しました。
倉山氏は裁判で「嘘に基づき三橋貴明を誹謗中傷し、名誉を損なったとの判決」を受け入れ、田母神氏は今は自らも認めた公職選挙法違反について、一年前に「全く知りません」と自らツイートしていました。
彼らはまあ、単なる「嘘つき」なのですが、怖いのは彼らの信奉者が、「倉山先生は悪くない! 裁判に負けたのは三橋で、実は倉山先生は大勝利している!」(「勝利」ではなく「大勝利」と、大仰に表現するのがキッチュ信奉者の特徴です)
「田母神閣下は悪くない! 悪いのは閣下を陥れようとしていた水島(チャンネル桜の社長)だ! 水島にしても「南京の真実」の映画を作っていない!」などと叫び、「裁判において倉山満が事実と異なる記述をしたことが認められた。
だからこそ、150万円の損害賠償を三橋に支払う羽目になった」「水島社長の映画の話と、田母神俊雄の公職選挙法違反は、全く関係がない。
そもそも、水島社長が告発したからこそ、田母神俊雄の犯罪が明らかになったに過ぎず、水島氏はむしろ国民としての義務を果たしたに過ぎない」といった正論あるは「現実」が全く目に入らず、しかも倉山や田母神が自らを擁護する発言を繰り返すものですから、それに便乗して「三橋叩き」「水島叩き」を加速するという状況になっているのです。
佐藤氏の定義通りのキッチュでございますが、怖いのはこの手のキッチュから「全体主義」が誕生するという点です。
ナチス・ドイツは、「ドイツ民族(アーリア民族)は世界で最も優秀である」「ユダヤ人は劣等民族」といった無茶な設定(建前)を、国民が共有している「はず」という前提で国家の指針としてしまい、「いや、そんなことはないのでは?」と、真っ当な反対意見を述べる人々を「都合の悪い汚物」として排除し、最終的には破滅に突き進んでいきました。
何を言いたいのかといえば、要するに「嘘つき」を「嘘つき」と批判することが、実は極めて重要という話です。
現在の日本では、何となく「空気」により、政治家などの嘘を「流してしまう」光景がよく見受けられます。
理由の一つは、嘘つきを嘘つきであると指弾すると、信奉者から猛烈な反発があるため、面倒くさくなってしまうのです。
これは、対象が「誰」であれ、危険な道です。
というわけで、現在の日本国あるいは日本の民主主義を守るためにも、「反発を恐れず、嘘つきは嘘つきであると指弾する」と同時に、「自分が【正しいと思っていること】が本当に正しいのか、自問自答を続ける」「誰かを支持することはあっても、【信奉者】にはならない」という態度が極めて重要なのだと思います。
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