余った食料、生活に困った人へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3756794
イヤゲ物集積システムにしかならんように思うのだけどw
または、生ゴミ寸前物の集積システム。
大体こう言うのは大々的にニュースにのると劣化、悪化して失敗てのは
結構あるパターンで、記事に有るアメリカだって元々の文化として存在してる
てのがないとあかんわけでしたからね。
それが教会なんですよね。
教会は、アメリカの映画とかみてるとよくでてくるけれど、かなり生活の
困窮者の為の食糧や寝床の提供に熱心ですよね。
キリスト教の文化として弱者への施しってのをするのが有る訳です。
んで、教会に通う信徒もそこに自分達にあまった食糧や過ぎた収穫を
持って行って社会への還元をする、つまり神の愛への感謝の一環として
こう言う事をするってのが有った訳ですから。
で、それをさらに掘り下げると根幹には西部開拓時代があるわけでして
この時期に、開拓民達は運・不運の落差が激しかった訳ですよ。
で、地域にはやっぱりキリスト教の教会があり、そこで猟が上手くいかない
畑が何某かの被害を受けたって事があって生活が困窮する人たちへの
施しをする事が文化として定着したとかなんだとか。
つまり、富める者は貧しい者への施しをする事が神の愛への感謝と
その愛を実行する手段的な意味で。
そうしないと村一つ壊滅なんてあり得るわけですからね。
人肉食の話を調べるとこの辺は判ってくるとかなんだとかw
さらに、この考えにたどり着くには原初のキリスト教まで溯ると
判るんだそうでして、これはようは弱者=敗者の図式になるそうな。
キリスト教がでてくると言うか、イエス・キリストを名乗る人物が現れるまで
ローマの支配下の地域や腐敗したユダヤ、ヘブライの神官やらなにやらの
やってる事って要は勝者になるかそれに阿るだけの事だとかなんだとか。
だから、キリストがユダヤの血が穢れている!と激怒したって話があるのだが
それは、勝者であり敗者を虐待する帝国へ擦り寄っておべっか使って賄賂で、
という腐敗に対しての怒りだとかなんだとか言う話もあるのだそうな。
で、それに対しユダヤ教(信徒がユダヤ人となるらしいがw)は穢れている、
ユダヤ教を信仰するユダヤ人(これユダヤ教徒って事だよね)の血は汚れている
なんて激怒をしたって逸話もあるんだとかなんだとか。
それは結局は勝者=強者が敗者=弱者を徹底的に甚振る構図に加担する行為で
神の愛だの戒めだのなんだのを説くものがする事ではないって事なのだそうな。
キリスト(5人のイエスがいたとも言われるが)はそれらの図式に対して、
強者が強者たりえるのは神が時にそちらに味方するだけであり敗者を
そのまま、略取、搾取、虐待や迫害をして良い訳ではないという当時とした
画期的どころか社会システムの破壊そのものを発現したって事に由来、
なんてことでしてだからこそ、弱者=敗者を助けると言う事がキリスト教の
文化の中で芽生え育っていったとかなんとか。
もっとも、そのキリスト教も教会権威主義に冒されると改宗しなければ
奴隷として村娘を売り飛ばすなんて事を日本でやらかして結果的には、
キリシタン弾圧に繋がったとか言う事もある訳ですな。
キリスト教はこの教会権威主義の反省から、施しとか弱者(敗者)への
いたわりって事への意識への強化を行ったとかなんだとかw
そんな感じの社会と違ってアジアじゃあ、仏教が既にソレだったとか言う
宗教学者の意見もあるんだよな。
日本やその他の仏教国でアメリカナイズさせようとして消し去っておいて、
他国には優しさが無いみたいに言うのは、結局はキリスト教の権威化で
教会権威主義の復活と言えるなんて事をいう人もいるらしい。
日本だと、結構お寺さんの檀家衆が持ち寄った食材などで
施しがあったりなんかしたそうですけれどね。
これは、キリスト教が根付いてないのにこんな事があるとは
信じられないと驚いていた宣教師の言葉があると言う話を、
聞いた事があるが、資料があるかどうかは知らん。
ま、結局はアメリカで流行ってるからとか、欧州では当り前だからって事で
形だけ、うわべだけ真似ても失敗するのじゃないかなぁ、と言う話なのでした。
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