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2015年11月25日15:27

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高橋哲哉・岡野八代共著『憲法のポリティカ-哲学者と政治学者の対話』を読んで


高橋哲哉・岡野八代共著『憲法のポリティカ-哲学者と政治学者の対話』(白澤社)を読む。

哲学者である高橋哲哉氏と政治学者である岡野八代氏との改憲問題を通して見えてくる日本社会の危機を、法律論とは異なるアプローチで語りあったロング対談である。その『憲法のポリティカ-哲学者と政治学者の対話』のなかで岡野八代氏の発言に焦点を合わせて少しこの書籍を紹介したい。というのは、先日読んだ岡野八代氏の『戦争に抗する―ケアの倫理と平和の構想』の内容がわたしのなかで�狆嘆宿堽畢瓩里泙泙世�らである。

本書は、まず「安部的なもの」とは何かという議論から始まる。そして安倍晋三が掲げる「戦後レジームからの脱却」がいったい何を意味するのかという話から始まり、「自民党改憲案」の全文にある≪天皇を戴く国家≫という言葉がいったい何を意味しているの。それは、「天皇陛下のため」「お国のため」に国民は存在する、だから国民は国家のために奉仕しなければならないということを意味しているのだということを、高橋哲哉と岡野八代との対談のなかで再確認することができた。

わたしがこの高橋哲哉・岡野八代共著『憲法のポリティカ-哲学者と政治学者の対話』のなかで注目した人が二つある。その一つは、岡野八代氏が2004年米愚ヘリが沖縄国際大学に墜落した後を理とすぐに沖縄人たちに呼ばれて、男女共同参画関係の講演を行った後、米軍基地を撮影していた時、米軍兵士にカメラのフィルムを破棄されてしまっこと。そしてもう一つは、改憲論者がよく言う「現行憲法はわたしたち日本国民が作ったものではない。だから改憲が必要だ」というときの�爐錣燭靴燭銑瓩箸呂い辰燭っ�なのかという言葉である。

岡野八代氏は沖縄で感じたことを次のように話されている。

「私たちは、国内にいるはずなのに、日本の法が及ばないところにいる。そして、銃器をもった米へかに尋問されているときのなんとも不安定な感じ、私は菜によって守られていて何者なのか、というぐらいの不安を感じたときに、沖縄は基地だけではなく、まさに沖縄全体が主権、自らの法を決め自らの法の下に生きるという、国民としての生き方をやはり奪われている、ということを実感しました。その時初めて沖縄問題というのが単なる基地問題ではなく、非常に深刻な、主権国家の領土のなかに主権が及ばない地域があることの問題を実感しました。」

わたしは、沖縄米軍基地問題は単に沖縄だけの問題ではなく、広く日本国民全体の問題だと繰り返し書いてきたが、それは単に日本の安全保障だけの問題より、より根源的な日本国という国家の�犲膰↓瓩亡悗錣詭簑蠅世塙佑┐討い襪�らである。

その意味からも岡野八代氏のこの言葉は、わたしにとってある意味、�狎�治学者からお墨付きをもらえた�瓩箸いΥ兇�あった。そして一層、沖縄問題を一人の日本国民として考えていかなければならない問題だと改めに考えたのである。

さらに�爐錣燭靴燭銑瓩箸いμ簑蠅亡悗靴討癲�憲法や法律を作る�爐錣燭靴燭銑瓩箸呂い辰燭っ�なのかという議論から、そもそも何を持って�狷�本国民�瓩箸いΔ里�という問題に議論が及ぶ。自民党憲法草案では�犒豈鐚腟銑瓩�色濃く書かれている。そのことが同じ日本国内で生活している人でも、例えば在日韓国・朝鮮の人たちに対するヘイト・スピーチ、つまり排他主義的傾向になりやすくなるという議論はどこか「安部的なもの」の本質がそのあたりにあるように思えてならなかった。

この�爐錣燭靴燭銑瓩竜掴世里覆�で、�爐錣燭鍬瓩箸いΔ海箸�議論させていた。その中で�爐錣燭靴凌搬里呂錣燭靴里發劉瓩箸いο誕蠅�議論されたとき、岡野八代氏が人工妊娠中絶の問題を持ち出されてきた。フェミニズムのなかで�狄郵�妊娠中絶�瓩鮟�性の権利として認めるべきだという議論である。「わたしの身体はわたしのもの』として人工妊娠中絶を選択する女性たちがいる。しかしながら�倏タ鵜瓩箸い�状態はわたしの身体のなかに�狄靴靴いい里銑瓩箸いβ昭圓鮟匹靴討い襪海箸覆里任△襦�それはもはや「わたしの身体はわたしのもの」という議論が成り立たない側面もある。つまり女性という身体的・ジェンダー的問題が絡んでくるというのだ。その議論のなかでわたしは�爛献Д鵐澄辞瓩気蕕豊爛侫Д潺縫坤爿瓩箸いΔ海箸亡愎柑�つようになった。

さらに政治学者であり、フェミニストでもある岡野八代氏は、一人では生きられないという人間存在の基礎に立ち戻り、�爛吋△領冤��瓩鯆鷯Г気譴討い襦�

「私がケアに着目した理由の一つは、人間が依存する存在であることを政治学が認めてこなかったからです。つまり、生まれてから死ぬまで人は、多くの時期において依存する存在ですし、また事故に遭うなどして他者に依存するということが現実的であるにもかかわらず、なぜ政治学がケアされる存在であるということを認めないできたかというと、他者に依存することに対する恐怖感があると感じたからです。」

わたしこの岡野八代氏の�爛吋△領冤��瓩�国際政治のなかでどのように生かされていくのか、そしてそのことが「テロとの戦い」のなかでの日本国が�猊靂廊瓩砲茲蕕覆て擦呂覆い里�を考えていく手がかりとしたいと思っている。

高橋哲哉・岡野八代共著『憲法のポリティカ-哲学者と政治学者の対話』という書籍は、戦後七〇年の節目の年に、日本社会に民主主義と平和主義の種を植えてきた平和憲法を廃棄しようとする企てが現実化しつつある中で、自民党改憲案をはじめ、死刑、天皇制、マイノリティの権利、人道的介入の是非など憲法をめぐるさまざまな問題の核心に、護憲か改憲かの枠組みを越えて斬り込む、日本国民(この言い方もこの対談のなかでは何を根拠にそういうのかが論じられていたが)にとって必読の一冊だと言えるであろう。
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