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2015年10月28日03:25

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「賛成する」「質問する」で「充填された語」に挑む

 さっきの日記の「感情が充填された語」に反論の方法も載っていました。

◆

◇「充填された語」に対する反論方法。(太字が充填された語。)

1.訂正する。

(例)
A氏 「B氏の主張は我々の伝統を破壊しようとしている! これを認めるのは不可能だ。」

B氏 「『伝統を破壊しようとしている』は充填された語です。要するに、A氏は『B氏はこれまでのやり方を変えようとしている』と同じ意味のことをおっしゃっているだけです。」
2.理由を問う。 

(例)
A氏 『B氏の主張は自分勝手だ。』
B氏 『なぜ自分勝手だと言えるのですか? 具体的な理由を説明してください。』

3.前提と結論のつながりを問う。 

(例)
A氏 『人間が牛乳を飲む行為は不自然だ。ゆえに、人間は牛乳を飲むな。』
B氏 『なぜ不自然な行為をしてはいけないのですか?』

◆

(超耳)

 詭弁家に対抗するときに気をつけなければいけないことがあると思います。

 「詭弁家当人を説得し考えを改めさせることを目指さない」
 「謝罪の言葉を欲さない」

 ということです。詭弁家は心の奥底で最初から敗北を自覚しています。無理を承知で横車を押しているのです。人の列に割り込みをする個体と同じです。割り込む人が自分は正統な権利があると本気で信じて割り込み、言い訳をつらつら言うと思いますか? 悪いことはわかっていて攻撃をかわすために言い訳しているだけなのです。説得なんて意味がありません。
 悪いことを自覚してやっている人間には説得も謝罪も到達する未来のどこにも存在しないものなのだと思います。

 もう一つ私は思います。

 「詭弁家に見える相手のほうがじつはまっとうな論を述べている可能性もある」

 ということです。全知全能ではない人間のやることですから私も間違うのです。でも私は私が間違っているかもしれないということを知っている。そういうところが人間らしいじゃないですか。
 だから相手の論を聞く余地は残したいと思うのです。聞いた上で列に割り込む式のワガママをぶつけているのだとわかったなら「このバカあっちへゆけ」でいいと思うのです。

 賛成して背理法的に自分の論を確認する手段として利用する。いいことじゃないですか?
 質問して相手のさらなる考えを引き出す。いいことじゃないですか?
 自分が間違う人間だと知っている私には、わりと向いている方法です。


>(例)
>A氏 「B氏の主張は我々の伝統を破壊しようとしている! これを認めるのは不可能だ。」
>
>B氏 「『伝統を破壊しようとしている』は充填された語です。要するに、A氏は『B氏はこれまで>のやり方を変えようとしている』と同じ意味のことをおっしゃっているだけです。」

 ここでのA氏の決め付けは誰が見ても暴論ですよね。
 あんまりまともに相手をしないで自分の論を続けるというのがいいと思います。二度言えば二倍、三度言えば三倍、A氏は自爆ダメージを蓄積するので。
 でも賛成と質問で返す練習をしてみますね。

 「破壊はよくないことだと私も思います。破壊ではなく変化がいいですよね。A氏の変化するべきところを私は考えました。破壊の意図はまったくありません。さきほど述べたこの変化についてどう思われますか?」


>(例)
>A氏 『B氏の主張は自分勝手だ。』
>B氏 『なぜ自分勝手だと言えるのですか? 具体的な理由を説明してください。』

 なんか同じ感じ(笑)。もう最初からA氏に分がないですよねー。
 これも放置しておいて二倍三倍とダメージを勝手に負ってもらえばいいんじゃないかな、なんて思うのですけれど。でも一応。

「自分勝手はよくないですよね。たとえば理由や根拠を言わずに『お前は自分勝手だ』と決めつけるのはたいへん自分勝手な行為だと私も深く同意します」

 ここまでやると嫌味っぽさが出ますけど。煽るのには使えますよね。私はついやっちゃうほうなんですけれど。


>A氏 『人間が牛乳を飲む行為は不自然だ。ゆえに、人間は牛乳を飲むな。』
>B氏 『なぜ不自然な行為をしてはいけないのですか?』

「不自然だからダメという主張に賛成したいのですが……。不自然なことはよくないと言っていいのですか? ほんとうに? たとえば金属製品は自然界では化合物だったものを加工して純粋な物質に戻しているのですが、不自然はダメということになるとこれも否定しなくてはならなくなります。そもそも自然の対義語が人工です。だから私たちのやることなすことみんな否定しなくてはならなくなりますけど……いいの?」

 もしかすると「いい」のかもしれないのですよね。
 耳を傾ける余地は残せるなら残したいなーと思うのです。
 不自然はダメで、私たちは知能も文明も技術も失ったほうがいいという主張だってあっていいんですから。
 でもそうすると家族が病気になっても富や技術の蓄積がないから治療もできず看病することもできない。富の蓄積ができないために親が働けなくなったら天寿がずっと先でも山に捨ててこなくてはならない。子供が内視鏡手術で1時間もかからない疾病を持っていても一生それで痛くて苦しい思いをして泣くのを抱きしめてやらなければならない。
 病気がいちばんわかりやすいので挙げましたけど、あらゆる「今は普通のことだから自覚できない社会の恩恵」を手放さなくてはなりません。
 よかった。
 私には自前の脳が備わっています。
 考えるだけで、そっちはダメなんだとわかります。

 間違っているのが彼でも我でも誰でもいいんですけれど。
 言葉を交わすことで間違いは改められてちょっとずついいものが生まれていったらステキですよねー。

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