J-CAST「SEALDsの異常な口の悪さが物議」SEALDsシンパ「ドブの底に溜まっているヘドロのようなゴミ記事」
http://jpsoku.blog.jp/archives/1042740455.html
そもそも論になっちまうんでしょうけれど、最初に誹謗中傷を始めたのって
SEALDsコアメンバーとされる人らやその支持者、シンパって言われる人ら
と言った状態でした。
安保推進もしくは集団的自衛権を行使容認するといった人たちに人殺しだの
戦争推進だのと言う事を言い、議論の道を閉ざし自分らと違えば罵詈雑言、
と言った流れは彼ら、彼女らの作りだしたもんなんですよね。
そうなりゃあ、当然ですけれど罵詈雑言の応酬です。
その平和とは程遠い姿を晒しているんですから、そりゃあ拒否されるのも
当然と言ったところなのですよね。
勿論、そんな連中だけじゃない、と言う意見がでてくるのもまた実際に
そうではなかった人もいるのは現実として認めはしますが、でも活動は
常に攻撃的で野蛮な言葉の連発だったのも否定できない現実という、
彼らが無視してもその存在は残ってしまっている訳です。
彼らが、自分たちが反対の勢力に対して罵詈雑言、悪口雑言を投げつける
と言う事に対して、まるで無頓着だったりする事が批判される理由でもあり、
また拒否される理由でもあるってことを理解しない限りは、どうしようもない
子供の我儘レベルの存在であるって成ってしまってるのは否めないですし、
誰も今後彼らを正当である、と認める事はしなくなるのはあると思います。
で、本来J-castの記事の様に批判をしてくれるのであれば、それは
傾聴に値する事なのですよね。
安保賛成で、集団的自衛権賛成であれば彼らの罵詈雑言、悪口雑言なんて
好きにしてれば良いだけの物です。
それだけ一般から嫌われる訳ですから、そちらサイドとしてみりゃどんどんやれ!
なんて感じではないかな、と思うのですね。
この点ではネトウヨだの右翼だの戦争推進派だの言われる方が
ちょっと高尚かもしれません。
汚い言葉遣いでデモや抗議街宣をする人を諌める人がまだ存在してる
っていうのは、ちょっとした利点ではあるんですね。
所が本来、理性的を自称する左翼サイドでそれをする人がいないってのが
まあ、驚くべき左翼の劣化って処です。
本来だったら一番それを論理的かつ理論的に指摘して諌めるべき存在は
恐らく共産党の志位書記長だと思うのですけれど、彼もたんに褒めそやし、
自身と反対の勢力に対してレッテル貼りをするだけの存在になってるのは、
最早、共産党は完全にインテリの集合としては死んだ、と言って良いと思うし
それを改善する事ができない状態ならば、共産党も先がないてのは言える、
なんて状態だと思います。
もっとも、これを右翼、左翼の問題だけではなく戦後の社会に起る
これからのパラダイムシフトと考えると、自民党も含めて戦後を引きずる
あれやこれやの存在が崩壊、消滅、再生、創生をしていく前触れかな?
なんて思ったりもする次第なのですね。
その際に起るのはやっぱり武力仕様の戦争だと言う事になってしまう
なんて事も考えられなくはないのですが、本来であれば戦争反対や、
平和を訴える所が歯止めになるはずなんですよね。
ところがそれが凶暴化してるとなると戦争やむなしかもしれません。
それは、ノーベルが結局、反戦平和団体に絶望して平和賞に関する
遺言が平和や軍縮などを推進した個人か団体とした頃に似ているな
なんて思う面ではあったりするのです。
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