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2015年09月29日13:47

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�犢餡箸�あっての基本的人権があり、国家があっての憲法があるのだ�瓩箸いΩ斥佞離淵鵐札鵐垢�

高村副総裁 安保法制で「法的安定性」磯崎氏以上の問題発言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3638020

「特定秘密保護法」の制定時も、そして今回の「安保関連法制」の成立過程でも、「憲法遵守」なのか、「国家の安全保障」なのか。わたしたちはどちらを優先的に考えるべきなのかという議論が自民党議員からよく聞こえてきた。そして「国家あっての基本的人権であり、国家あっての憲法だ」という結論をいとも容易く述べていた。

そのような議論を聞くたびに、わたしは一つの疑問をいつも感じていた。それは、「国家あっての基本的人権であり、国家あっての憲法だ」という場合の�犢餡鉢瓩箸浪燭�ということだ。そもそも基本的人権は国家が国民に与える権利ではない。たとえば、国家を失った難民という人々に基本的人権はないのかというと、そんなバカなことはない。彼ら一人ひとりにも基本的人権があり、わたしたちは彼らの基本的人権を守る義務があるのだ。だから�狷駝永欷遶瓩箸いμ簑蠅�生じてくるのだ。

自民党議員がいう�犢餡箸△辰討隆靄榲�人権だ�瓩箸い�主張は、そもそも基本的人権とは何かということが分かっていない。分かっていないものが戦後沖縄県民が米軍統治下に置かれ、27年間も基本的人権さえも認められず、その基本的人権の獲得、回復のために闘ってきたということが理解することはできない。その省吾となるのが、先日の菅義偉の「戦後、苦労したのは沖縄県民だけではない」という暴言に現れている。だから沖縄県知事の翁長雄志氏は国連人権委員会の場に赴き、「沖縄県民の人権がないがしろにされている」と演説を行ったのである。

では、国家とは何であろうか。本当に�犢餡箸△辰討侶�法だ�瓩箸い�主張は正しいのであろうか。ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックによれば、�犢餡鉢瓩箸蓮⇔琉茵蔑療據⇔凌紂⇔龍�)、人民(国民、住民)、権力ないし主権の三要素によって構成されると定義される。では、たとえば、国民を国民として規定するものは一体何だろうか。それは法律である。その法律は何によって規定されるのかといえば、最高法規である憲法である。つまり憲法なくして国家は成り立たないことにもなるのである。

今回の安全関連法案でよく言われた「憲法」か「安全保障」かという議論自体、ナンセンスである。なぜならば、安全保障という�狎�策�瓩呂△�までも「憲法」という縛りのなかで検討されなければならない。もしも安全保障のためには憲法を無視してもよいということになれば、わたしたちの日常生活も国家権力が破壊することは可能なのである。つまり国民の生命財産を守るための安全保障がわたしたち国民の生命・財産を危うくするのである。軍隊は決して国民の生命・財産は守らない。そのことは戦前の旧日本軍の日本国民に対する姿勢からもわたしたちはよく学んでいるはずである。

自民党議員がよくいう、�犢餡箸�あっての基本的人権があり、国家があっての憲法があるのだ�瓩箸いΩ斥佞呂修譴鮓譴覽聴�の無知さを自ら告白していることに過ぎないのである。わたしたちはもう一度、そもそも�犢餡箸箸浪燭��瓩箸いΔ海箸鮃佑�直さなければならない。国家はわたしたちを無条件には守ってくれない。時として国家が国民を見殺しにする場合もあるのである。わたしたちはそのことをしっかりと自覚しなければならないのである。そのことが�猯鮖砲魍悗岫瓩箸いΔ海箸覆里任△襦�

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