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2015年08月23日12:04

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対華二十一カ条要求とは何だったのか―日本が中国に行った屈辱的な要求

日本の「中国侵略」、イタリアの歴史教科書に記述される・・・背景に中国への関心度上昇=中国メディア
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=3579251

(書評)『対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点』 奈良岡聰智〈著〉

 ◇報道と世論が衝突をあおった
 日本史の教科書でいえば1頁(ページ)ほどの記述なのに、中国では日本から屈辱的な要求をのまされた「国恥(こくち)記念日」として語り継がれる日がある。1915年5月9日。まもなく100年を迎える。
 いきさつをおさらいする。
 日本は、第1次世界大戦に日英同盟を理由として直ちに参戦を決めた。ドイツに宣戦し、中国に対して山東省のドイツがもつ利権の継承や南満州の権益の強化など21項目にわたる要求を突きつけた。欧米列強にアジアからの後退を強いた大戦を、「天佑(てんゆう)」とみなして権益拡張を目指す日本は、辛亥革命後の中国の新しい国づくりを妨げる単独敵として急浮上していった――。
 中国における「反日」の源流とも言える歴史を、筆者は「日中対立の原点」とみなす。そして、対中強硬派におされて要求内容が膨らんでいった日本の政策決定過程と、日中の交渉を検証する。
 手堅い歴史書でありながら映画を見るように読みすすめられた。日本の外相だった加藤高明を主役に、各国の政治家や外交官、記者らの動きが、史料や当時の内外の報道をもとに謎解きのごとくつづられる。とくに、英国の視点がスパイスになっている。
 日本の露骨な膨張熱は、秘密主義があいまって英米からの不信も招いた。内政干渉といえる内容を含む「要求」について、中国の袁世凱政権は欧米メディアへ巧みに情報を流し、国際世論を味方につけようとする。いっぽう、日本の駐北京公使は取材に応じず「アイ・ドント・ノー(私は知らない)」というあだ名で呼ばれていたという。情報戦で日本が「包囲」されるにつれ、国内の報道は反発を強めて扇情的になっていく。
 戦時の政策に与える世論の影響が印象に残る。沸き立つ世論にあおられて先鋭化した日中の対立は、次の衝突の呼び水となった。第2次世界大戦敗戦から70年の今年、「原点」をたどる意義は深い。
 評・吉岡桂子(本社編集委員)
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上記は、2015年4月26日付の朝日新聞に掲載された吉岡桂子氏による「(書評)『対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点』 奈良岡聰智〈著」の全文である。

日本が中国大陸を侵略し始めたのは満州事変からだと考えているのは、日本国民だけなのかもしれない。わたしの中で長年一つの疑問があった。それは、アヘン戦争後、欧米列強も中国大陸の利権獲得競争を繰り広げていて、そこにはいわゆる�狄�略行為�瓩暴爐困觜坩戮發覆気譴討い燭砲發�かわらず、何故中国は日本だけを�狄�略国�瓩箸靴独麁颪径海韻討い襪里�という問題であった。その疑問に答えてくれるのが、奈良岡聰智著『対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点』(名古屋大学出版会)かもしれない。

上記の吉岡桂子氏の書評にもあるように、「対華二十一カ条要求」については、日本史の教科書のほんのわずかにしか記述されていない。日本国民の多くがかつて日本が中国政府、当時の注民国に対してこのような要求をしたこと、そしてその要求は中国の人々にとって「国恥(こくち)記念日」として1915年5月9日を語り継がれているとは知らないであろう。では、、「対華二十一カ条要求」とはいかなる要求であり、中国人にとって何故そのような要求が「国恥」、つまり祖国の�狠儉瓩世隼廚錣譴襪曚匹劉犇�辱的な要求�瓩世辰燭里世蹐Δ�。

実はわたしはまだ奈良岡聰智著『対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点』を読んでいない。だから一日も早く入手して一読してみたいと考えているのだ。ただもっと驚くことに、この�狢于敍鷭衆譽�条要求�瓩亡悗垢觸饑劼蓮�奈良岡聰智著『対華二十一カ条要求とは何だったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点』しか出版されていないということだ。それほど日本人にとって忘れられた�猴弋甅瓩世噺世┐襦�しかしそこが中国による「反日」の原点だとすれば、是非とも日本人はこの「対華二十一カ条要求」を知っておく必要があると考えるのである。

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