職業軍人であった伯母の亭主はいわゆる「南方ボケ」になって復員した。
「南方ボケ」とは敗戦後に武装解除し、
捕虜収容所に入れられ特にやることもなく、ボーッとして過ごし、
帰国後に魂の抜け殻になってしまい、何もする気が起きず
周囲の人たちから「ボケて帰って来た」と揶揄された兵隊のことだ。
南方(伯母の亭主の場合はシャム)にいて、
戦争が終わった安堵感も手伝い、脱力感からボケてしまったとしても不思議ではない。
戦争というとマスコミは最前線で戦った悲惨な体験をした兵隊にスポットライトを浴びせるが、
実際には激戦地ではない場所で戦争終結を迎えた部隊もいるのだ。
インドネシアから独立した東ティモールはその典型だ。
東ティモールはポルトガル領で、ポルトガルは中立国だった。
といってもかなり枢軸国側に近かったが。
そこに駐留していた兵隊はオーストラリア軍の侵攻を待ち構えていたが、
待ち続けている間に戦争は終わり、戦わずして捕虜になった。
そんな部隊もあったが、無傷で復員した兵隊たちに対する風当たりは強く、
無事だった彼らは口を閉ざした。
伯母の亭主も戦争体験についてはほとんど何も話さなかったらしい。
彼は職業軍人だった。
つまり志願兵だ。
それでいて無傷で帰って来たのだから、かなり世間の風当たりは強かったはずだ。
兵隊はどの部隊に配属されるかで、全く別の運命を背負うことになる。
祖父(母の父親)は徴兵され、同じ町から出征した兵隊たちの中の唯一の戦死者になった。
母はよく「父は本当に運が悪かった」とこぼしたものである。
兵隊の運命なんてものは成り行きでしかないのだ。
戦没者になるか、ならないか、
それは運次第なのである。
■安倍首相の式辞全文 戦没者追悼式
(朝日新聞デジタル - 08月15日 13:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3567720
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