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2015年05月18日02:28

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(lll-д-lll)<死亡ーン 見た目は元気そうですが実はこの人は重病だったので死なせたのです>(▼Д▼)

 安楽死はチョー危険な諸刃の剣です。議論はいいことですけれど安楽死を認めたあとのこともよくよく考えてみてほしいと思います。
 人を殺してもよいとする例外措置は作らないに越したことはないわけです。

 オウム真理教がポアと呼んでいた殺人行為は有名です。あれと似たようなことがあちこちで発生すること、すぐに想像できます。殺人なんだけど病気の診断書と本人に頼まれた証拠さえ残しておけば無罪になるかもしれないですからね。「どうして隠蔽したんだ」と言われたら「そういうふうに疑われるからですよ!」と返せますしね。
 悪人が殺人のハードルは下がったと考えること、疑いないと思います。

 事件が起こり問題視されるようになってくると別の問題も表出するでしょうね。

 冤罪です。

 そこまでゆかなくても「これは安楽死なのか、犯罪としての殺人なのか」という紛らわしい事例がわんさか出てくることも確実だと思います。

◆

■マンガ社会学入門【1】いま、問われる「安楽死」―『ブラック・ジャック』で語られた「生と死」
(キャラペディア - 05月17日 12:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=208&from=diary&id=3420445

マンガはただの娯楽ではない。社会を風刺し、誰もが親しめるツールを使って、社会に潜むさまざまな問題を浮き彫りにする極めて社会的な役割を持つ作品も少なくない。マンガを入り口にして、新たな価値観に出会う……。それもまた、立派な社会学ではないだろうか?

2014年11月、米国。脳腫瘍で余命半年と宣告された29歳の女性が、医師から処方された致死薬で死亡した。「安楽死」を選んだのである。自らの死亡日を事前に定め、YouTubeで病名などとともに発信していた。全米ではメディアに大きく報道され、日本のニュース番組などでも取り上げられたので、覚えのある方も多いだろう。

一方、日本においては、自身の「死に方」について、まだ十分に議論されていないと言われる。日本人の生死感、家族の想い、そして死と向き合う覚悟。さまざまな価値観が交錯し、決して「完全なる答え」が存在しない問題。
そんな「安楽死」という価値観を、いち早くマンガという形態で広く紹介したのが、“漫画の神様” 手塚治虫であった。


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■ドクター・キリコに託した、死に対峙する者たちの切実さ

手塚治虫の代表作の1つ、『ブラック・ジャック』では、安楽死をテーマにしたエピソードがたびたび登場する。患者の延命を最優先するブラック・ジャックに相対する存在として、安楽死を提供する役回りを演じるのが、ドクター・キリコである。

キリコが初登場する第4巻「ふたりの黒い医者」。このタイトルには、安楽死をめぐる“答えの出ない暗闇”と、二人のアンビバレントな存在が凝縮されているといえよう。
交通事故のため全身不随となり、苦労する子供らのために死を選ぼうとする母親のもとに、ドクター・キリコが訪れる。同時に、子どもたちから手術を依頼されるブラック・ジャック。神の手と、悪魔の手、物語はその対決へと展開していく。

安楽死は一歩手前で阻止され、ブラック・ジャックは難解な手術を見事に成功させる。喜ぶ子どもたち。能動的な死の選択を、生への希望が打ち負かしたように見える……。
しかしここで、物語はハッピーエンドを迎えることはない。

直後に交通事故に遭い、親子ともども命を落としたのである。

「それでも私は 人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」

これは、ブラック・ジャックからキリコへの挑戦状だろうか。
それとも、死を約束された人間の宿命への、せめてもの抗いだろうか。


■「おれたちはばかだっ!」BJのこの一言に、何を思うか?

次にキリコ(つまり安楽死)が登場するのが、第10巻「浦島太郎」だ。

70年前の炭鉱爆発で意識不明になった「Cさん」。生ける屍として、事故当時の17歳の姿のまま昏々と眠り続ける彼の前で、生と死の使者、ブラック・ジャックとドクター・キリコが相まみえる。

生と死のせめぎ合い……。ブラック・ジャックが再びオペを成功させ、眠り続けた「Cさん」に希望を与えたかに見えたその時、またもカタストロフィが訪れる。

「浦島太郎」というタイトルの伏線がここで回収されるわけだが、最後の一コマは、なんとも行き場のない重々しい言葉で締めくくられる。

「おれたちはばかだっ!」

“おれは馬鹿だ”ではない。“おれたち”が馬鹿だと言うのである。目指すベクトルは正反対を向いていながら、ともに患者を救おうとする2人の医師。それでもなお生死をつかさどる真理の前で、無力さにうなだれる姿がある。
昏睡から醒めた「Cさん」が、わずかに口走る言葉が、胸に刺さる。

「なぜぼくを起こした? なぜ そっとしておいてくれなかった?」


■巨匠・手塚治虫のメッセージにこめられたもの

病と対峙する本人の意思。そして病にある人を愛する人々の想い。そこにあるのは、永久に埋まることのない、深い淵なのだろう。
漫画を通じてさまざまなメッセージを送り続け、人間存在そのものに対して深遠なテーマを投げかけてきた手塚治虫。彼は安楽死に対する自らの“答え”を提示しているわけではない。答えのない、それでも向き合わなくてはならない問題を、繰り返し語り続けてきたのだ。

「答えが出ない=考える意味が無い」ではない。
だからこそ、議題に上げ続ける。
安楽死や尊厳死という、社会に問われた難題にどう向き合うのか。その姿勢を、『ブラック・ジャック』に教えられる気がしてならない。

◆

(超耳)

 まともな記者に書かれた記事でしたね。

>「答えが出ない=考える意味が無い」ではない。
>だからこそ、議題に上げ続ける。
>安楽死や尊厳死という、社会に問われた難題にどう向き合うのか。その姿勢を、『ブラック・ジャック』に教えられる気がしてならない。

 安楽死のハードルを下げないまま、議論したり考えたりすることって重要でしょうね。
 一部の政治にたずさわる人たちだけではなくて。わたしたち一般の市民が考えるべきなんでしょうね。

 次に現れる安楽死でしか救われない人と向き合うときのために。
 必ず現れるんですから。

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