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2015年04月09日13:42

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天皇の起源。

陛下「すべての人々を追悼」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3362062

天皇は2つに分けられます。天武天皇と、それ以外。※

というのは古代史大好き人間には馬鹿受けすること間違いなしのジョークですが
(まったく受けなくても責任は取りません)
天皇制は世界に誇れる不思議王政だと思っています。

その始まりは歴史のかなたに霞んでしまってはっきりとはわかりません。
ある程度あるだろうと推測されるのは、卑弥呼の時です。

卑弥呼は、男王が後を継いでも一向に争いが収まらず、
止むを得ずのピンチヒッターとして登場するからです。
これは有名な魏志倭人伝の記述ですが、
この記述から日本では当時、合議制で大王(おおきみ)を決めていたことがわかります。
「王」を名乗る「国」同士の争いではなく、
あくまで王が正統かどうかという派閥争いなのです。
しかもそれを、「話し合いで『女』王に決めてしまう」という先進性。

さらに遡ること200年。有名な「漢の倭の奴の国王」の金印。
漢字で書くと「漢委奴国王」ですが、
ここからもすでに当時天皇制があったことをうかがわせます。

当時の中国、漢は、周辺国に勝手に名前をつけて金印を下していました。
ですが、どの国の名前も基本的には1文字で、
「漢◯国王」という4字の形式での金印となっています。
考古学者は日本だけ5文字になっている理由を
委は委ねるっていう意味じゃない?とかいろいろ考えたのですが、
委ねる、であるならば他の国にもそうなっているはず。
日本が天皇制+小国という、私たちがよく知っている統治体制をすでに持っていたことを示すと思います。

「はるばるご苦労であった。金印を授けよう。国の名はなんと申す?」
「倭国の奴国でございます。」(奴国は魏志倭人伝にも登場する国です)
「倭国の奴国?倭国なのか、奴国なのか。」
「奴国でございます。」
「では金印は漢奴国王でよいかな?」
「いえ、私どもは倭国の奴国でございます。」
「????。漢倭奴国王?」
「それで結構です」
「????。いいのこれで?」

というようなやりとりがあったかどうかは知りませんが、
当時すでに国が二重になっている統治体制をうかがい知れます。
周辺国にはない統治体制への戸惑いをこの金印から感じてしまうわけです。

天皇制が素晴らしいと思うのは、武力による征伐統合ではなく、
全国の合意により祭り上げられていること。
世界の国の起源がほとんど
「先住民を追っ払った!討ち果たした!今日から俺たちが王だ!!」
という、明確な武力による始まりを歌い上げているのに対し、
天皇は日本中の合意で担ぎ上げられているため、
天皇に対するクーデターを日本人が起こすことはありませんでした。
(天皇個人との対立はあります。天皇家断絶を目論むことがなかったということ)
すべての権力争いは、「天皇の下の最高位」を争っているということは
日本史を読む上でもっとも大きなポイントかもしれません。

太平洋戦争当時の昭和天皇についても、興味深いエピソードが山ほどあるのですが、
今日はこれにて。



※
天武天皇は謎すぎます。天智天皇の弟ということですが、
展示が存命の時から意味不明の膨大な支持を得ていたり、
事業内容が革新的すぎたり、戦争上手だったり、まさに完璧超人。
それまでほとんどお飾りだった天皇史上、初の絶対王政に近い権力を握りました。
以後も、これほど日本を掌握した天皇はいないでしょうね。
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