■ムスリム苦しめる「イスラム国」呼称 メディア対応は
(dot. - 03月24日 16:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=3335824
以前、同志社大学大学院、内藤正典教授が『報道ステーション』に出演されたとき、言われていたことだが、中東で何か起こらなければ、日本のマスコミはイスラーム専門家には出演依頼を行わない。そのことはいかに日本という国が、あるいは日本国民がイスラームに無関心で、無理解で、イスラームに関する知識を持っていないかということをよく示している、と。
たしかに、日本国民はイスラームについては全く無知である。かつてわたしは湾岸戦争が起こったとき、イスラーム関係の書籍を数冊買い込み、読んだことがある。また恩師・原野栄二先生の関連で、井筒俊彦氏の著作集を買い込んで、井筒俊彦氏の、単にイスラームだけでしなく、広く東洋、まさしく中東のアラビアからロシア、そして中国、朝鮮、日本に至るまでの地域の思想・哲学を�犖興餃瓩覇匹泙譟∋弸�の対象としていたという、空海以来の�犖豎悗療刑妖�才能�瓩鉢狄識鵑覆觧弸��瓩飽掬櫃気譴燭海箸�ある。
井筒俊彦氏は、戦前原野先生が企画された「アテネ文庫」の一冊として、『マホメット』という書籍を出版されていた。また『コーラン』(岩波文庫)を翻訳されたり、『コーランを読む』(岩波現代文庫)を出版されたりしている。そこにはイスラームに対してわたしたち日本人が属する�狹賤凌有瓩了弸�的書籍として『コーラン』を紹介されていることがよくわかる。しかしながらわたしたちがイスラームに関心を持つのは、中東で何か事件が起こったときだけであり、イスラームは�牴畄祗瓩猫狒斡畭綸��瓩淵ぅ瓠璽犬鮖�って、である。そして日常的には全く無関心なのである。
わたしには、内藤正典教授の言葉が心に深く残っている。わたしは大学時代に西洋哲学を専攻していたのだが、西洋哲学史においてイスラームなしには中世哲学、キリスト教哲学は存在しなかった、中世哲学はプラトン、アリストテレスの哲学がキリスト教に流れ込むことによって成立する。しかしそれは初期の教父と呼ばれた中世の哲学者たちがギリシア語でプラトン、アリストテレスを読んだのではなく、一度、ギリシア語からアラビア語に翻訳されたものをラテン語に翻訳した読んだのであり、中世の哲学者たちがプラトン、アリストテレスを�爛�リシア語�瓩覇匹爐茲Δ砲覆辰燭里蓮�中世哲学半ばあたりからだと言われている。その意味で文化て水準はキリスト教よりイスラームの方が優れていたのである。そして今もある意味では西洋文化よりイスラームの方が優れているのかもしれないが。
そのような意味もあって、わたしには内藤正典先生の言葉がとても心に響いているのである。
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