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2026年10月14日22:09

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<ガザでの大規模衝突から3年 中東和平の原点へ ジミー・カーター大統領の取り組み>第3回 第3章 シナイ山 民族融和の地> (1)十戒の山に抱いたロマンとリアリズム

<ガザでの大規模衝突から3年 中東和平の原点へ ジミー・カーター大統領の取り組み>第3回 第3章 シナイ半島 民族融和の地>

 目次
序文 スポーツと戦争
第1章 スポーツと政治の切り離せない過去 夏季アスリートの夢を犠牲にしたカーター大統領 その人権外交
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第2章 アラブの原則に反するエジプト、イスラエルと対話へ
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  第3章 シナイ半島 民族融和の地 

 イスラエル建国から30年余りを経て、エジプトはアラブ諸国の中で初めてイスラエルとの和平に踏み切った。見返りとして、イスラエルは1967年の第3次中東戦争で占領したシナイ半島をエジプトへ返還する。以後のシナイ半島は、非武装地帯として管理される一方で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地を抱える特別な土地でもあり続けた。戦争の最前線だった半島は、やがて対話と共存の可能性を映す舞台へと姿を変えていく。本章では、そのシナイ半島に刻まれた和平のドラマを追っていく。
 

(1)十戒の山に抱いたロマンとリアリズム
〜サダトの夢、カーターの信仰、ベギンの冷徹が交錯したキャンプ・デービッドの裏話〜

 両国の和平を象徴する場所は、標高2285mのシナイ山である。旧約聖書にて、エジプトを出たモーセが、カナーン(現在のイスラエル領と大きく被る)の地へ戻る際、立ち寄ったと記されている。

写真�� シナイ山の位置関係 
フォト

40日間山頂にとどまり、、神の指で文字が刻まれた2枚の石板(契約の石板)を授かった。神からの教えとなる十戒を受けたエピソードは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、いわゆるアブラハム三大宗教にて共有されている。2002年にユネスコ世界遺産に登録された麓の聖カタリナ修道院は、巡礼者の拠点として使用される。4世紀に書かれたとされる「シナイ写本」は手付かずのまま保管されていた。最古の新約聖書の写本の一つとされ、原点を垣間見ることができる。東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス一世(在位:西暦527年から565年)によって創建された際、ユダヤ教にも配慮した。


写真�� 聖カタリナ修道院
フォト

 預言者モーセが神の命を受けた「燃える柴」を包み込むように礼拝堂と堅牢な城壁が築かれたのである。やがてイスラム教が生まれると、創始者ムハンマドは、保護と特権を認める「シナイ半島の聖カテリーナ修道院に残るアラビア語の古文書」と呼ばれる盟約書(アシュティナ、Ahdname)を与えた。税も免除し、敷地内にモスクを建てた。つまり3つの宗教が混在する、融和の象徴の地ともいえるのである。

 修道院の名前の由来となったカタリナとは、4世紀に殉教したキリスト教の聖女だった。時のローマ帝国によって、キリスト教弾圧の犠牲者となったのである。最後まで屈せず、信仰を守り通した彼女を、天使がシナイ山の山頂へ運んだとの伝説が広まった。9世紀にその棺が発見されたとされる。麓の修道院は、聖カテリアーナと呼ばれるにいたった。カタリナの死を痛み、キリスト教の信者は、麓の修道院を拠点に巡礼ツアーを行う。深夜ヘッドライトを付けて登頂し、夜明けのご来光と共に静かに祈りをささげる。時を経ても、人々の歩みはとまらなかった。

写真�� シナイ山からのご来光 
フォト

この聖なる山において、サダト大統領はかつての敵国であったイスラエル、そして仲介を務めたアメリカの指導者を招き、合同の祈りを捧げる「ピース・シュライン」構想を抱いていた。政府の公式文書に残っていなかったものの、1978年10月22日付TIMES誌が報じている。熱心なキリスト教徒バプテスト派であったカーター大統領も、この聖地での和解へいたる宗教的ストーリーに強い共感を抱いていた。後年のインタビューで、キャンプ・デービッド合意の際やその後の平和外交を振り返り、次のように語っている。

「サダト大統領はその話を何度も口にしていました。彼はシナイ山に3つの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)すべてが使える聖堂(ピース・シュライン)を建てたいと望んでいたのです。我々(カーター・サダト・ベギン)もそこ(シナイ山)へ行くつもりでした」

ただし安全保障と領土問題で妥協に慎重なベギン首相は、構想に乗らなかった。シナイ山で三者一緒に祈るといったサダト大統領とカーター大統領のポエティック(ロマン的)なパフォーマンス提案に対しては冷ややかな反応を示したといえる。「領土の返還条件」「安全保障」「入植地の扱い」といった具体的・法的な条文について詰めの調整に神経を費やしていたのである。「サダトのロマン主義」「カーターの熱心な信仰心」「ベギンの徹底したリアリズム」という3人の個性が激突した、非常に人間味あふれる歴史の裏話(逸話)として密かに残っている。


写真�� 1978年のキャンプデービット合意時 左からサダト大統領、カーター大統領 ベギン首相
フォト

4度に渡る中東戦争の激戦の舞台となったシナイ半島が、いまや信仰と和平が交差する「平和の象徴」へと昇華した。

エジプトとイスラエルの和平は、当時民族間の融和へ向けての第一歩ととらえられていた。仲介者カーター大統領が願った「安定」まで遠い先の道のりだった。和平の対価としてのシナイ半島返還と引き換えに軍事的な安全を確保したイスラエルと、アラブ諸国からの孤立という代償を払ったエジプトの関係は、単なる「冷たい平和(Cold Peace)」と表現されることも少なくない。

シナイ山にかかった平和の橋は、不完全ではあっても、流血を対話に置き換えた転換点だった。
 

写真出展先 参考文献

・聖カタリナ修道院について 文献 Kiminiブログ 2025年10月22日付
https://kimini.online/blog/archives/88191

・サダト大統領のシナイ山登山計画 文献 TIMES誌記事「Imagine: A Lofty Summit」(1978年10月22日号)
https://time.com/archive/6879191/middle-east-imagine-a-lofty-summit/

・後年カーター大統領のシナイ山登頂計画について語ったインタビューについて
sojo.net 
https://sojo.net/articles/jimmy-carter-role-faith-egyptisrael-peace-talks-his-own-life-and-out-white-house

写真�� シナイ山の位置関係 掲載元 天下泰平2 夏至エジプトのシナイ山ツアーの募集 2025年3月29日付 https://tenkataihei.blog/?p=11740

写真�� 聖カタリナ修道院(出展:shutterstock)掲載元 世界遺産マニア https://worldheritage-mania.com/heritage-saint-catherine/

写真�� シナイ山からのご来光 掲載元 4Travel 2008年10月掲載 ユーザー名 りゃまねこさん https://4travel.jp/travelogue/10342191

写真�� 1978年のキャンプデービット合意時 左からサダト大統領、カーター大統領 ベギン首相(出展:Getty Images) 掲載元 Forward https://forward.com/community/412051/remembering-the-positive-changes-president-carter-made-for-israel-and/


 以下 関連作品

2025年4月22日付け 名画と共に振り返る旧約聖書物語 第1弾 エデンの園からヨセフまでのあらすじ。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989829132&owner_id=32437106

2025年5月11日付 名画と共に振り返る旧約聖書物語 第2弾  神のお告げが下ったヤコブと兄イサウの物語 アラブ人の祖イシマエルについて 新教皇が選出される
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989947331&owner_id=32437106&from=list_diary_title









サイゼリヤ、値上げを発表&謝罪「当社の努力不足により」 「ミラノ風ドリア」300円→320円、ワインやランチは変更なし 
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8987816
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