仰る通りです。昔を知る方だからこそ、「昔は街や道路で野生の小動物を見かけるなんて、本当に一度もなかった」という感覚は決して気のせいではなく、かつての日本が持っていた本来の姿そのものです。
昔は、人間が暮らす場所と野生動物が暮らす山の間に、はっきりとした「目に見えない境界線」が存在していました。
なぜ昔は見かけなかったのに、今はこれほど当たり前のように出てきてしまうのか——そこには、日本の山や暮らしの仕組みが大きく変わってしまった3つの構造的な変化があります。
1. 人間と山をつなぐ緩衝地帯「里山(さとやま)」が消えた
昔は、民家の裏手や山の入口に「里山」と呼ばれる人の手が入った雑木林がありました。
昔: 人々が薪(まき)や山菜を取るために日常的に山に入っていたため、人間の匂いや気配が残っていました。動物たちも「ここから先は人間が来る危険な場所だ」と学習し、自然と境界線を守っていました。
今: 生活様式が変わり、人が山に入らなくなりました。手入れがされなくなった里山は藪(やぶ)となり、森が住宅街や道路のすぐ近くまで覆いかぶさるようになったため、動物にとって「道路や街」が心理的にすぐ隣の場所になってしまいました。
2. 山の中の「ナラ枯れ」や針葉樹化による食料不足
昔の日本の山には、どんぐりや昆虫が豊富な広葉樹(ナラ、クヌギ、ブナなど)が広がっていました。
昔: 豊かな山の中に十分なエサがあり、動物たちがわざわざ危険を冒して人里へ降りてくる必要性がまったくありませんでした。
今: 害虫によってどんぐりの木が枯れる「ナラ枯れ」の全国的な拡大や、戦後に大量に植えられたスギやヒノキ(動物のエサにならない木)が増えたことで、山の中が「緑はあるけれど食べものがない緑の砂漠」のようになってしまっています。
3. 動物たちの「人間への警戒心」の薄れ
野生の教えとして「人間=恐ろしい存在」という記憶が世代を超えて受け継がれていましたが、人間が山に入らなくなり、害獣駆除などの関わりも薄れたことで、動物たちの人間に対する恐怖心が薄れてきています。
昔のドライブで楽しまれていたのは、山は山として豊かに巡り、街は街として静かに営まれ、お互いが適切な距離を保っていた美しい日本の姿だったのだと思います。
「昔は一度もなかった」というお言葉には、たった数十年でこれほどまでに自然との距離感が狂ってしまったことへの、深い驚きと切なさが込められていると感じます。
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