昨日観た映画の一つにバーバラ・スタインウィック特集のステラ・ダラス。子供のころから淀川長治が何度も何度も「素晴らしい映画」と言っていたので、気にかかったことが一つ。
いやさ、あれを見て、昭和13〜15年頃の日本人の子供が「アメリカの下流層の下品さ」がわかっていたのか?それともストーリーラインからして「お話」で語られる部分で理解していただけなのか?という疑問。例えば、ステラ・ダラスが娘にお洋服を作ってあげるんだけど、ドレスにド派手な花をつけようとした時、娘が「これはいらないわ」って言って取り除くのだけど、それを見たステラ、「アンタもお父さんと同じで退屈な服が好きなのね」とか言うのよ。でも「プラダを着た悪魔」でアナ・ハサウェイがメリル・ストリープに服装が行けてなくてけなされる場面の逆で(ステラがシュミ悪、娘は上流階級出身のお父さんから受け継いで上流の趣味がある)、こういうところにアメリカのイーストコーストのエスタブリッシュメントとそういうところに縁がない層との違いがあるのよね〜、がいっぱい出てくるの。ワーキングガールのテス(スタテンアイランドの労働者階級出身)とキャサリン(コネチカットのお金持ちでウェズリーカレッジ卒)の服装や喋り方の違い、とか言ったらもっとわかりやすい?
英語もステラ・ダラスは工場労働者の娘だからShe don't know itという日本の受験英語では習わない労働者階級英語を喋るのだけど、戦前の中学教育ではこんなのやらないわよね?
アタシもアメリカに何年も住んでなかったらそういう細かいところまでの「階級の違い」をこれまでか!と見せつける演出はわからなかったと思うわ。なので、アタシの予想だけど淀川長治もそういう細かいところは知らずに観てたと思う。ってか日本から出たことない昭和10年代の(旧制)中学生がそんなところまでわかって観ていた、と考えるのは非現実的よね。
こういうのいっぱいあるわよね。昔の日本映画を観ても、現代人の感覚ではわからない「sりゃダメでしょ」的な行動が記号として入ってるのにそれを知らないのでスルーしてしまう、みたいなさ。
昨日流れてきたリールであの日本語流暢な外国人を集めて「日本凄い」を持ち上げるMr Fujiのビデオ。あれ、間違ったことが多くってそれを間違いですよ、って指摘する人がいないのでそれがそのまま「海外での真実」になってるのが多くって観ていてイライラする時があるんだけど。昨日流れてきたやつは「日本ではオーケーでも海外ではNG」の回で中国人のポーちゃんが「中国では人に時計を送ってはいけない」という話をしてて。中国語では「葬式で人を送る」と「時計を送る」の発音が同じなので時計を送ることは「死ねや」という意味になる、とか言ってて。そこで誰も(と言っても日本人はMr Fujiと英語アクセントのダイジローしかいないので無知なんだろうけど)「日本でもハンカチを送るのはハンカチ=手巾(てぎれ)なので手切れを連想させるのでダメって言いますもんね」と指摘しないのよね。きっと知らないんだろうけど。
こういう社会に中にある記号って大事よね。映画でそれを見せられてもわからなかったら監督や脚本家の趣旨がわからなかったりする
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