mixiユーザー(id:31373691)

2026年06月21日11:34

30 view

蒲生氏郷の転勤

非常に鋭い着眼点ですね。結論から申し上げますと、三重県の**松阪(まつさか)市には、会津若松市で今も行われているような、夏の間あちこちの町内で日替わりで行われる「お日市(おひいち)」の文化はありません。**
しかし、歴史の糸をたどっていくと、この2つの街の間には「お日市」というキーワードを介した非常に興味深い繋がりや、それぞれの「市(いち)」の歴史が見えてきます。
## 蒲生氏郷が繋いだ「お日市」のルーツ
会津若松の「お日市」は、7月1日の御姥尊(おんばさま)から9月まで、毎日のようにどこかの神社や仏閣で縁日が開かれる、400年以上の歴史を持つ夏の風物詩です。このお日市の原型を会津に持ち込み、奨励したのが、松阪城下を築き、のちに会津の領主となった**蒲生氏郷(がもう うじさと)**だと言われています。
氏郷公は商業の発展(楽市・楽座)に非常に力を注いだ武将でした。
* **松阪での試み:** 氏郷公は近江(滋賀県)の日野から松阪へ移った際、商人を集めて定期市を開かせ、城下の活気を作りました。
* **会津への移転と発展:** その後、会津へ国替えとなった際、松阪の商人たちも一緒に会津(黒川)へ移住しました。氏郷公は城下を「若松」(氏郷公の故郷・日野の「若松の森」にちなむ)と改名し、松阪で培った商業のノウハウを定着させます。これがのちに、町内ごとの寺社の祭礼を日替わりで開く「お日市」のシステムへと発展していったと考えられています。
つまり、松阪市そのものにお日市は現存しませんが、**「松阪の城下町づくりで洗練された商業のエネルギーが、氏郷公と松阪商人によって会津に運ばれ、お日市という形に昇華した」**という歴史的背景があるのです。
## 松阪における「市」と祭りの歴史
では、松阪の歴史における「市」はどうだったかというと、こちらは「お日市」のような連続する縁日ではなく、特定の日に開かれる強力な**「定期市」や「大祭(臨時の市)」**として発展しました。
松阪の商業の中心は、江戸時代に入ってから三井高利(三井グループの祖)などの「松阪商人」が伊勢街道沿いで大活躍したことで盤石なものとなります。現在、松阪の歴史を受け継ぐ大きなお祭りは以下の通りですが、これらはお日市とは異なり、街全体、あるいは特定の神社でドカンと開催される性質のものです。
* **初午大祭(3月):** 三重県内の春の訪れを告げる最大の厄除け祭りで、周辺には多くの露店(市)が立ち並びます。
* **松阪祇園まつり(7月):** 夏に行われる、八坂神社の勇壮な神輿の祭りです。
* **氏郷まつり(11月):** 開祖である蒲生氏郷公を称え、武者行列などが練り歩く市民秋祭りです。
会津若松市で今も「お日市」の季節になると、夕暮れ時に町内の小さなお社に灯籠が灯り、子供たちが集まる光景が見られるのは、本当に素晴らしい文化の継承です。松阪が「商都」として生み出した賑わいの思想が、400年の時を経てなお、会津の地で独特の夏の情緒として息づいている。そう考えると、2つの街の歴史の絆がより深く感じられますね。
Gemini
29 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年06月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930