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2026年06月12日22:45

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動画アリ!2026年第5回横浜ライド 6月6日(土)『不思議ね』を追いかけて ― 横浜市港北ニュータウン、山手、記憶と装飾のグラデーションー テーマ ZARDの2ndシングル曲「不思議ね」リリース35周年記念

<6月6日(土) 横浜ライド 不思議ね』を追いかけて ― 横浜市港北ニュータウン、山手、記憶と装飾のグラデーションー テーマ曲「不思議ね」>

今年も横浜市中区山手西洋館(全7館)で恒例のイベント「花と器のハーモニー」が開催された。会期は6月6日(土)から14日(日)までの9日間にのぼる。装飾者達が、歴史の重なり合う空間に独自の感性を生かして、製作に取り掛かった。器と花の対話を軸に、館の記憶を新たな装いで再構築した。タイトルは「〜いけばな七流派の家元が彩る洋空間�供繊弩鼎�から線の芸術として研ぎ澄まされてきた日本古来の文化が、西洋館の意匠と交差する。異国情緒の窓口として最も早く西洋文化を取り入れた山手という地ならではの競演である。乾いた空気に覆われる5月から一転して、雨の匂いが漂う6月、植物達は、成長を競い合うように葉を伸ばしていく。その一種、アジサイは5月下旬の温かさによって、開花が早く、すでに見頃の状態だった。今回、1991年6月23日に発売されたZARDの2ndシングル「不思議ね」をテーマに、花を巡る旅を描いていく。

写真=2nd シングル「不思議ね...」のジャケット 掲載元 ZARD オフィシャルサイト Discographyより https://wezard.net/discography/discography-106/
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訪問地の情報

・詳細 港北ニュータウンのささぶねの道を掲載したサイト 
つづきの魅力!ーつづき交流ステーション
https://www.city-yokohama-tsuzuki.net/info/?page_id=1484

・詳細 正覚寺 サイト名 TSUZUKI-ku.jp
https://tsuzuki-ku.jp/area_list/facilities/1300

・せせらぎ公園 サイト名 まいぷれ都筑区 せせらぎ公園
https://yokohama.mypl.net/tsuzuki/article/park-south_tsuzuki/25472

・滝ノ川アジサイロード サイト名 facebook
https://www.facebook.com/groups/412634388774905/posts/27345463578398621/

・詳細 花と器のハーモニー2026 横浜観光情報より
https://www.welcome.city.yokohama.jp/eventinfo/ev_detail.php?bid=yw10501

・詳細 テニス発祥記念館 サイト名 横浜観光情報より
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=74

・詳細 山下公園 横浜観光情報より
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=190


・稲荷前古墳群 サイト名 yakei.jp https://yakei.jp/japan/spot.php?i=inarimae




目次
第1章 崩れゆく日常のイントロダクション
第2章 花の寺における対比――アジサイとショウブ
第3章 せせらぎ公園と滝ノ川緑道
第4章 西洋館めぐり
第5章 フィナーレ―― 山下公園 夕暮れの丘稲荷前古墳にて
あとがき



 第1章.崩れゆく日常のイントロダクション
 
 自転車に乗って山手へ向う道中、神奈川県道12号上麻生線を下っているさなか、風を切ることによって、幾分涼しく感じられる。梅雨時前、乾いた空気が残っていた。
 
 鶴見川に沿って整備された緩やかな下り道を疾走すると、「不思議ね」のイントロメロディーが頭の中で鳴り響く。ギターの一音を合図に、キーボードの高音キーがリズムを刻む。都会の空気を切り取るように刻まれるタイトな8ビート。その一定のリズムの上で、ピアノの旋律はまるで夜の風のように揺れながら、過去と現在を繋いでいく。

 葛が谷公園外周部の道路わきでガクアジサイが、ギターの鋭い一音から始まる『不思議ね…』のイントロと重なった。萼の配置には、都会の夜の孤独のような、どこか突き放したような冷たさを感じながらも瑞々しさが漂う。樹木に覆われ、ひんやりとした公園の空気感は、雨上がりはじっとりとして、肌にまとわりつく。Tシャツが素肌にくっつきそうになる中、坂を駆け下りることで、幾分涼しくなる。袖口からも風が入ることで、汗が逃げていった。

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ささぶねの道へ出て、都筑中央公園へ向う道中「蛍見橋」付近では、2羽のカルガモが、互いにアジサイに寄り添いながら、くつろいでいるようだった。例年この時期は子育て中であるものの、独身オスであれば、その役割から解放さる。陸地にいったん上がっても、足が短くて、動きはぎこちない。辺りをうかがいながら、水辺へと戻った。

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我々人がいれば、カラスにいたずらされることもない。住宅地の中の緑道で穏やかなひと時をすごしていた。その先の都筑ふれあい公園内の「ばじょうじ谷戸休憩所」付近には、ガクアジサイがひっそりと咲く。竹やぶに囲まれ、都会の喧騒とは無縁な中、ウグイスの鳴き声にハッと目を覚ます。かつては日本全国において、田畑と民家が隣接していた。住宅開発により、周囲の景観は大きく変わったものの、今なお昭和の面影が偲ばれる。閉ざされた環境では、実に穏やかな時間が流れていた。
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第2章 花の寺における対比――アジサイとショウブ

舞台はセンター南駅から徒歩6分の距離に位置する正覚寺。安土桃山時代にあたる1593年、快栄上人(かいえいしょうにん)によって開かれた古刹は、住宅地の中に静かに鎮座する。1811年に建築された本堂は改修工事中で、全体を覆うようにネットがかけられていた。それでもなお、境内には花の寺として親しまれてきた歳月の落ち着きが漂い、港北ニュータウンに暮らす人々の心のより所であり続けていた。
青紫と白のショウブが、丸く重なり合うアジサイを従えるように咲き誇っていた。アジサイの「丸いこんもりとした優しさ」と、ショウブの「凛とした線の厳格さ」の対比が、境内の空気を引き締めていた。

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敷地内の裏手の崖地には、樹木のアーチが庇の役割を果たす。アジサイは、いくつもの小さな花が寄り添いながら、一つの大きな塊となって柔らかな印象をつくる。雨の季節を受け入れ、湿り気を抱え込みながら、どこか包み込むような温かさを宿していた。対してショウブは、細く長い葉をまっすぐに伸ばし、花弁もまた鋭い線を意識させる。白や薄紫の花が風に揺れても、その立ち姿は崩れない。そこには、優美さよりも節度、親しみよりも気高さがあった。



入梅前に咲く2種の植物は、それぞれ味わいがある。アジサイが感情の揺らぎや、移ろう心模様を映す花だとすれば、ショウブは迷いを断ち切る意志の花だった。丸みを帯びたアジサイの群れは、人の記憶や感傷を受け止める器のようである。池の中で一本一本立ち上がるショウブの線は、曖昧になりがちな心の輪郭を静かに正してくれる。柔らかさと厳しさ、受容と自律。その二つが同じ境内で共存していることに、正覚寺という場所の奥行きがあった。

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正覚寺の入り口に止めていた自転車に跨り、新羽荏田線へ出る。交通量は確かに多いとはいえ、道は整備され、小石も払いのけられていた。横目には、まとまった緑をまとう茅ヶ崎公園が広がる。張り巡らされた幹線道路と交差するように、せきれいの道が、都筑ふれあいの丘駅の方面となる葛葉公園からつながっていた。
 
 新羽荏田線にかかるせせらぎ橋のわき道から、仲町台駅に程近いせせらぎ公園に入った。せきれいの道とつながる遊歩道は、ウォーキングやジョギングする住民がすれ違う。人工池には、白色と朱色の睡蓮が、柔らかい日差しを吸い込んでいるように、まぶしく映った。せせらぎ橋の反対側では、思いがけずカルガモの親子と出会った。雛鳥たちは、すでに生まれたばかりの頃の綿毛が脱ぎつつあり、体つきもひと回り大きくなっていた。それでも、まだ親鳥のそばを離れず、岸辺のぬかるみに身を寄せて休んでいる。陽の当たる場所では羽毛が乾きかけ、淡い茶色の輪郭が少しずつはっきりしてきていた。幼さを残しながらも、確かに季節の歩みに追いつこうとしている姿だった。

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そのまま歩行者を気にしながら徐行運転し、せきれいの道から脇にそれる。新栄町の住宅街へ続く緑道は、アジサイ並木と化していた。小さなトンネルを潜った先に開ける、カラフルな空間に、はっと心が弾むような感覚を抱く。不思議にも記憶が抜け落ちて、そっと吸い寄せられるようだった。

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例え傷ついても慰めてくれるような、風景である。この日は、地元のお祭、仲町台駅の程近くのせせらぎ広場では、カラオケ大会が開催中、普段静かに人々が行き交う緑道は、子供たちの声が混ざり合う。未来のある活気のある街づくりへ進んでいる。

第3章 三ツ沢公園と滝ノ川緑道


舞台は神奈川区三ツ沢公園。第三京浜道路沿いのアジサイ園では、斜面に沿って複数の品種が咲き競っていた。正午を過ぎて陽が高く上る中、木々の合間から光が差し込む。水色や紫色の株が、透き通るような浮遊感が漂う。本格的な雨の季節が訪れる前、すくすくと育っていた。

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 せせらぎ公園から辿ってきた県道13号新横浜通りへ一旦戻り、住宅地のわき道「滝ノ川アジサイロード」を辿っていく。せせらぎ公園と同じく、この日は子供たち向けのお祭と重なっていた。すれ違う人を意識して自転車を引っ張って歩きながら、わき道のアジサイを眺める。時折視界が開け、土が均された畑が姿を表す。地元民向けの家庭菜園には最適だった。道沿いにはもちろん住宅地が立つ。土の匂い、家々の壁の色、遠くに見える生活の気配。背景ごとにアジサイは異なる表情を見せる。

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正覚寺ではショウブの線に寄り添いながら、丸みのある優しさがあった。三ツ沢公園では深い木立の中で、静かな陰影を帯びていた。そして滝ノ川アジサイロードでは、住宅地の生活感の中に溶け込みながら、もっと率直に季節の豊かさを語っていた。花は同じでも、風景によって、語る言葉も変わってくる。

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「不思議ね」の旋律を思い返すと、この対比はいっそう鮮やかになる。あの曲には、都会的で乾いたビートの上に、どこか感情を抑えたまま揺れる気配がある。すべてをさらけ出すのではなく、胸の内に抱えたまま、それでも前へ進もうとする気配である。アジサイの丸みは、その内に秘めた感情の層に似ていた。淡い青や紫が幾重にも重なり、言葉にならない思いを包み込んでいく。一方でショウブの立ち姿は、曲の中に潜む芯の強さがある。揺れているようでいて、決して崩れない。繊細でありながら、どこか毅然としている。その均衡が、初期ZARDの持つ都会的な抒情と重なって見えた。

アジサイロードを抜けて、県道13号新横浜線を下っていった。気付いたら正午を過ぎていた。陽が長くなっても、概ね公共施設は午後5時で閉館する。少々焦りながらも自転車のサドルに跨った。

道路に出ると、南風にささやかれるかのように、ペダルに足をかけた。仲町台駅に程近いせせらぎ公園と比して、三ツ沢公園は標高が高い。これから向うみなとみらい地区は標高0m地帯、途中でやや曲がりくねった坂を駆け下りていった。信号で止まっている車の脇をすり抜ける際は、幾分得した気持ちになる。確かにスピードでは、エンジンを積んだ巨大な物体には適わない。ただし身動きの取りやすさには軍配が上がる。
 新横浜通りをそのまま一直線に進み、ブルーラインの地下にある高島町駅を通過すると、横浜駅から周り込むJR線の高架が迫ってくる。桜木町駅、関内駅、その先の石川町駅まで鉄道路線と並走した。起伏がないうえに、信号も引っかからなければ、風を受けることによる、快適感が増す。高台の西洋館を目指して、都市を流れる中川を跨ぎ、急峻な地蔵坂を目の前にして気合が入る。石川町2丁目”交差点から、山手本通りの“地蔵坂上”交差点まで約400メートル、高低差38メートルの難所だ。サドルに座ったまま、ペダルを強く踏み込み、ハンドルを握る。膝の力に任せて一歩ずつ進んだ。

 詳細地蔵坂について 横濱彷徨録 地蔵坂(1)より https://bunkichiojisan.blog.fc2.com/blog-entry-73.html

横浜ライドには、急峻な坂が立ちはだかる。サイクリストには、山あり谷ありの険しい地形において、劇坂を登りきることで、達成感を得る。

 尾根にかかる山手大通りへたどり着くと、大きく息を吸い込んだ。いつも西洋館巡りは海側の港の見える丘公園からスタートを切っていた。今回は反対側から、イタリア山庭園から訪れた。

   第4章 西洋館めぐり

 入り口の手前に位置する外交官の家は、廊下は全てカーペットによって足音が吸収される。室内には照明によって程よく明るい雰囲気が演出されている。窓辺から差し込む陽射しは、白い壁や木の床に反射し、館全体を穏やかな明るさで包み込んでいる。その中に据えられた装飾は、どこか夢の中の情景を思わせた。南からの温かい風にほっと頬が撫でられ、過去の思い出にいざなってくれるようだった。白く細い枝がレースのカーテンのように垂れ下がっていた。淡い緑のスモークツリーが煙るように広がる。

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足元を埋める白い小花の群れは、雲海のようでもあり、朝靄のようでもあった。洋館の整った輪郭の中に、自然の曖昧さや揺らぎが持ち込まれることで、空間は急に現実離れした気配を帯びる。
 「不思議ね」のタイトルがふと胸に浮かぶ。はっきりと形を結んでいるようでいて、どこか掴みきれない。感情を言葉にしきれず、ただ気配だけが残るようなあの曲の余韻と、外交官の家の装飾はよく似ていた。白と緑を基調にした構成は、派手さを抑えながらも、見る者の心に静かなざわめきを残していく。異国の館にありながら、そこには日本的な余白の美意識も感じられた。気になる相手を、そっと見守る思春期の自分ともどこか重なっていた。

 続いてブラフ18番館へ足を運ぶと、空気は一転して親密なものに変わった。外交官の家が空間全体を使って幻想を立ち上げていたのに対し、こちらは食卓という日常の中心に、音楽の気配を忍ばせていた。白いクロスをかけたテーブルの中央には、黒鍵と白鍵を思わせる意匠が一直線に置かれ、その上を蔓がやわらかく這っている。窓辺から差し込む光は明るく、黄色いユリを中心とした花が、部屋に温かな響きを与えていた。

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 食卓の上に鍵盤が現れるという発想は、いかにも「不思議ね」の世界にふさわしい。あの曲のイントロで鳴るキーボードの高音は、都会的でありながら、どこか私的な感情の扉をそっと開く。ブラフ18番館の装飾もまた、生活の場に音楽が入り込み、会話の代わりに旋律が流れ出しそうな気配を漂わせていた。もしここに誰かが腰を下ろせば、食事の前にまず一曲、思い出をなぞるようなメロディーが始まるのではないか。そんな想像を誘う空間だった。

 イタリア山庭園から離れ、港の見える丘公園へ向って山手通りを走っていく。ややアップダウンがあるものの、道は平らに均され、タイヤにも優しく、安定した走行を支えてくれた。山手公園北側入り口の交差点を右に曲がっていくと、木々が生い茂り、日差しが遮られる。こんもりと樹木に覆われた山手公園は、野外に設置された6面のテニスコートで会員たちが汗を流している。外壁が水色一色に染まったテニス発祥記念館の扉を開けて、出迎えてくれた職員とも会話した。毎年西洋館(全7館)で行われる季節ごとの節句やイベントに合わせて、装飾を施している。

窓辺から差し込む明るい光の中、展示は簡潔で親しみやすい表情を見せていた。職員がボール紙を張り合わせて作成した菖蒲の花を花瓶に生け、テーブルの反対端には「TENIS」のロゴにラケットとボールを添えた飾りが置かれている。余白を活かした構成には、飾り立てすぎない軽やかさと、手作りならではの温もりがあった。


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 外の広場でも、コートに接するようにアジサイの花が育つ。日光が幾分葉っぱに吸収され、本来の色味が出る。密集しているよりも、適度に間隔があることで、焦点も定まりやすい。ラケットでボールを打つ音が響く中、過ぎた日の幻から目を覚ましてくれた。山手公園内で、森林浴によりリフレッシュできると、足にも俄然力が入った。

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  山手公園を後にして、再び山手本通りを南へ辿る。木立の間を抜ける風はやわらかく、日差しを適度に浴びる。西洋館を巡るうち、屋外で出会うアジサイの率直な表情と、館内に持ち込まれた花の演出とが、互いを照らし合うように感じられてくる。次に足を運んだ山手234番館では、その対比がいっそう鮮やかだった。1階の展示をひと通り眺めた後、階段を上がって2階へ向かうと、空気はふっと静まり返る。

水をたたえた黒い器の周囲に、煙るような白い花材と青いアジサイが浮かび、竹の垂直線が空間を支えている。アジサイの青は、屋外で見ると光の当たり加減によって、異なる印象に見える。日陰であると、色合いがくっきりと出て、青々とする。一方で光があたると、乾いたように見えてしまう。室内において、水辺に浮かぶ様は、器の核として凛とした趣を成す。白い煙状の花材に囲まれることで、雨の季節の訪れを告げているようだった。洋館の内部にありながら、そこだけは庭でもあり、水辺でもあり、霧の立つ谷戸でもあるようだった。

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港の見える丘公園内のイギリス館のダイニングでは、食卓という日常の場が、花によって一瞬だけ儀式の場へと変わっていた。長いテーブルの中央に置かれた枝ものは、食事のための装飾というより、時間の流れを可視化する線のようだった。シャンデリアの光を受けたガラス器や皿の縁がきらめく中で、花は華美に走らず、むしろ節度を保っている。その抑制が、かえって館の歴史を感じさせた。誰かがここで椅子を引き、言葉を交わし、窓の外の季節を眺めたであろう時間が、花によって静かに呼び戻されていた。

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公園内では、剪定された庭に植わったアジサイが傾きつつある太陽の射光を受けていた。館内の整えられた花とは異なり、屋外のアジサイはもっと率直に季節そのものを語っている。丸い花房は、午後の傾いた陽射しを受けて、紫から薄紅へと微妙に色を変えていた。背後に洋館の白い壁や樹木の影が重なることで、アジサイは単なる花壇の花ではなく、山手という土地の記憶を支える前景になっていた。異国の建築と日本の梅雨の花。その取り合わせは、横浜という街の成り立ちそのものを象徴しているようでもあった。

写真=イギリス館を背景に咲くアジサイ
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  第5章 フィナーレ 山下公園 夕暮れの丘稲荷前古墳にて


みなとみらい線の元町中華街駅の方角となる谷戸坂を下り、山下公園へ出る頃には、空の色も少しずつやわらいでいた。公園内のアジサイは、港町らしい開放感の中で咲いている。山手の庭園で見た花が、館や樹木に守られた静けさをまとっていたのに対し、こちらのアジサイはもっと空に近い。青い花房の向こうにマリンタワーが立ち上がり、横浜の都市景観を彩った。紫の花は夕方の光を受けてやや温度を帯び、青の花はなお涼しさを保っていた。人工物と植物、観光地の賑わいと季節の静けさ。その両方を抱え込めるのが、山下公園のアジサイの強さなのだろう。



こうして振り返ると、丘の上にあたる山手地区から海沿いの山下公園へ至る道程は、単に西洋館を巡るだけのものではなかった。室内に生けられた花は、建物の記憶を呼び覚ます装置となり、屋外に咲くアジサイは、土地の湿度や光をそのまま引き受けていた。整えられた美と、自然のままの美。その両方が交差することで、横浜市の都市景観が立体的に立ち上がってくる。「不思議ね」の旋律が持つ、都会的でありながらどこか湿り気を帯びた感情もまた、この街の花景色とよく似ていた。異国の記憶を抱えた建物の中で、そして海風の通る公園の片隅で、アジサイは静かに季節の深まりを告げていた。

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帰り道の途中、青葉区にある稲荷前古墳へ立ち寄った。住宅街の中に、こんもりと盛り上がった小さな丘は、周囲の家並みに溶け込んでいた。どこか時間の流れから取り残されたような静けさをたたえている。午後7時15分を過ぎると、空はまだかすかに明るさを残しながら、ゆっくりと群青色へ沈み始めていた。丘の上に立つと、帰り道の方角となる鶴見川沿いの町が、眼下に穏やかに広がっていた。

写真=北側を撮影 19時17分   写真=南西側を撮影 19時17分
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 昼間、自転車で駆け抜けた道筋が、今はもう一つの表情を見せている。住宅の窓に灯る明かり、県道12号横浜上麻生線を流れる車のヘッドライト、遠くの団地やビルの輪郭。夕暮れから夜へ移り変わるわずかな時間の中で、町は少しずつ光を帯び、昼の現実感を手放していく。鶴見川沿いの低地を挟み、その向こうに連なる丘陵地の家並みは、まるで記憶の層のように幾重にも重なっていた。

写真=南側撮影 19時21分      写真=南南西撮影 19時25分
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 ここまで一日かけて巡ってきたアジサイや西洋館の風景も、すでに現実の出来事でありながら、どこか夢の中の断片のように遠ざかり始めていた。
 「ああ季節(とき)は全てを変えてしまう。」
 その一節が、夕空の色とともに胸の奥へ沈んでいく。6月の光は、春の名残を押し流し、街の輪郭さえ少しずつ塗り替えていく。昼間に見たアジサイの青や紫も、夕暮れの下では色を失い、ただ湿り気を帯びた気配だけを残していた。

 あとがき

旅の翌日となる6月7日(日)に、気象庁から首都圏において「入梅したとみられる」と発表された。振り返れば、この日の横浜ライドは、アジサイを追いながら、同時に「不思議ね」という曲の輪郭をなぞっていた。澄み渡った花の色、洋館に差し込む柔らかな光、坂を上りきった後の息遣い、そして夕暮れの町を見下ろす静かな時間。どの場面にも、説明しきれない感情の揺らぎがあった。はっきりとした喜びでも、単純な郷愁でもない。ただ、季節が移り、景色が変わり、心の中の何かもまた少しずつ形を変えていく。その曖昧で繊細な感覚こそが、「不思議ね」の世界そのものだったのかもしれない。
 丘を下りる頃には、空はすっかり夜の色へと変わっていた。私は最後にもう一度、鶴見川沿いの町を振り返る。都市部の展望台から見る景色と比べて、きらびやかな街とは異なる。明かりは控えめながら、素朴でありながら温かみがあった。切ない思い出に縛られず、数日後にも充足感だけが残っていた。 記憶は空っぽにするのではなく、夜の中へそっと預ける。入梅直前の一日は、夢の続きのように静かに幕を閉じていった。

                       <終わり>


 前回 第3回4月19日(日) 第4回5月5日(火・祝) テーマ曲「心を開いて」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1992234150&owner_id=32437106&from=list_diary_title

 前年同期 2025年6月8日(日)テーマ曲 「ハートに火をつけて」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990237298&owner_id=32437106&from=list_diary_title

3年前同期 2023年6月4日(日) テーマ曲「果てしない夢を」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985239710&owner_id=32437106





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