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2026年01月22日09:30

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「男性アイドル」の嚆矢的存在だったが、「全日本歌謡選手権」の司会の印象が大きいか。

■【 訃報 】長沢純さん 死去 84歳 脳出血のため 【元・スリーファンキーズ】 司会・俳優・タレントなどで活躍
(TBS NEWS DIG - 01月21日 21:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8640787
昭和30年代後半に活躍し、男性アイドルグループの嚆矢的存在として人気だった3人組ユニット「スリーファンキーズ」のリーダーだった長沢純、亡くなる、ですか。ジャニーズ事務所(STARTO ENTERTAINMENTの事実上の前身)の最初のアイドルグループである「ジャニーズ」と双璧を為す存在で、「ナカナカ見つからない」などのオリジナルや、当時の歌謡界で目立っていた洋楽の日本語カバーのヒットソングを持っていますが、昭和40年代の初めには解散し、記事にあるように実業家に転身の傍ら、テレビ番組の司会や俳優などでも活躍していました。
その中で印象的な番組の一つが、昭和40年代半ば頃から放送された「全日本歌謡選手権」(読売テレビ制作、日テレ系で全国ネット)で、その司会を長沢純が務めていました。歌合戦形式で行われていた視聴者参加型のオーディション番組ですが、アマチュア出場者にもプロの歌手にも門戸を開き、5人の審査員が1人20点を満点として審査、100点満点中70点を基準に「合格」とする勝ち抜きとして翌週に出場、10週連続で勝ち抜きとなると「グランドチャンピオン」となってレコード会社との契約権と賞金、海外旅行を獲得できると言う内容の番組でした。途中で不合格となれば失格となり、再度挑戦(Wikipedia日本語版では「審査員の裁量によって再挑戦を認められるケースもあった」としている)は出来ましたが、改めて1週目からやり直しとなりました。ヒット曲に恵まれない歌手にとっては再起を賭ける登竜門的番組で、プロもアマも審査の基準等に差を設けず一律に審査していた番組でした。当時の審査員には淡谷のり子、船村徹、竹中労、平尾昌晃、鈴木淳、山口洋子と言った錚々たる面々が揃い、その厳しさでも知られていて、プロ歌手でも早い週で失格となる人が少なくなかった程でした。
求めるレベルの高さもあり「グランドチャンピオン」はあまり多くはなく、後年、日テレで放送された「スター誕生」等と比べるとメジャーな活躍をする歌手の輩出も限られましたが、五木ひろし(三谷謙)、八代亜紀、天童よしみ、山本譲二と言った日本の歌謡界を代表するスター歌手が「グランドチャンピオン」に名を連ねたことで、存在感を高めたオーディション番組でした。
司会を務めた番組には、他にも「スターびっくり箱」(箱の中身を手で触れてその内容を当てる番組。不正解の女性タレントがスカートの裾を切られると言う企画のため、当時「低俗番組」と批難された)のような番組があり、一方では昭和52年の参議院議員選挙に無所属で全国区から立候補して、落選したこともありました。記事では、ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領(「元ロシア大統領」は誤り)や、ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領、細川佳代子元首相夫人らと親交があり、共に慈善活動にも力を入れ、「グリーンクロスジャパン」、「スペシャルオリンピックス日本」、「あゆみの箱」、「あきらめない」などの理事等をつとめた旨が記されていますが、参議院選挙出馬や川口晶(作家で大映専務の川口松太郎と女優の三益愛子夫妻の子で、俳優の川口浩(「川口浩探検隊」で知られる)、川口恒を兄に持つ)との短期間の結婚生活など、あまりイメージの良い印象はありませんでした。
1月15日早朝に脳出血で死去し、所属事務所によると「亡くなる前日まで体調に異変なく、普段通りの穏やかな日常を過ごしてまいりましたが、翌朝、自宅にて突然倒れ、静かに息を引き取りました。余りにも急な出来事に、遺族一同、いまだ深い悲しみの中におります。」とのこと。、享年84。合掌。
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