mixiユーザー(id:11160383)

2026年01月07日00:26

43 view

2009年1月7日の日記 昭和天皇とベルギー王室

昭和が終わり20年が過ぎた。
そういえば、あの頃は携帯電話とは呼ばず、移動電話と呼んでいたっけ。
20年も経つとずいぶん世の中は変わったもんだ、と実感する。
それにしても昭和63年夏から昭和天皇の病状が末期的であるとの報道があって
いつ崩御してもおかしくない状況での
あのなんともいえない重かった雰囲気というのはよく憶えている。
「自粛せよ」という空気に覆われ
「バカ騒ぎはよくない」というア圧力が日本全体を覆っていた。
プロ野球セ・リーグで6年ぶりの優勝を果たした中日は、ビールかけを自粛したが
一歩遅れてパ・リーグで優勝した西武はビールかけを行い、
「何でもかんでも自粛するのはいかがなものか」という意見もあった。
また日産のセフィーロの宣伝で井上陽水の「お元気ですか?」という台詞も
放送されなくなった。
「昭和天皇が元気でないのにそんな台詞は不謹慎だ」という指摘があり
日産側がそれに応じたのであった。
何でも自粛自粛と言っていた当時の空気は
まるで特務機関が市民を監視していた戦時中に戻ったかのようであった。
うっかりしたことが言えない雰囲気に包まれていたのだ。

大多数の人は年を越すことなく、昭和が終わると思っていたが、
昭和64年はやって来た。
「Xデイ」は本当に来るのか?
国民がそう思い始めたとき
ついにその日はやってきた。
何とも言えない思い空気が日本中を包み込んだ。
スーパーに買い物に行くと物悲しいクラシック音楽が放送されていた。
NHKの教育放送以外は特別番組に放送内容を変更したため
教育放送が一番の視聴率を獲得した。
レンタルビデオ店は大忙しだった。
国民がテレビ放送に飽きてビデオを借りる為レンタル店に殺到したからだった。
もうあんなストレンジな日は永久に訪れないだろう。

そして昭和天皇の葬儀が行われる事となる。
ここで問題が起きた。
当初、イギリス王室などヨーロッパの王室が
葬儀に参列するのを拒否したからであった。
だがここで救世主が現れる。
ベルギー王室がイギリス王室を説得し、葬儀に参列する確約を取った。
そしてイギリス王室に倣い、ヨーロッパの各王室も参列する運びとなった
日本人はもっとベルギー王室に感謝するべきだった。
この問題は歴史の中に埋もれつつあった戦争を日本人に想起させた。
日本人が忘れかけていた戦争の負の遺産が亡霊となって戻ってきたのである。
それからさらに20年、戦争の歴史はさらに遠くの彼方に埋もれつつある。

「昭和天皇大喪の礼」に参列した国及び国際機関の代表
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1989/h01-shiryou-5.htm
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年01月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る