mixiユーザー(id:1806035)

2025年03月09日20:06

406 view

「ベルばら」語り 新作をテレビシリーズで作ってほしい

 映画化記念にyoutubeで旧アニメ版が一気放映されました。
それ見かえしたり映画観たりしての感想よもやまです。

旧アニメ版、 アニオリ部分の革命家の群像劇は「革命の物語」としては秀逸だと思う。
特にテロ行為を繰り返すサンジュストとそれを止めようとするベルナールの会話は放送当時もガーンと頭撃たれた衝撃あったけど、今見返しても見事だ。
100の演説より一丁の銃が社会を変えるというサンジュストに反論するベルナールに
「ロベスピエール先生はね、僕なんか及びもつかないテロリストだよ」
と答えるサンジュストだけど、知っての通りロベスピエールはその後、恐怖政治を行い王や貴族だけではなく政治的対立派のみならずかつては志を同じにした同志たちも粛清していく。
その中でベルナールのモデルになったカミーユ・デムーランも恐怖政治に異を唱え寛容を呼びかけたことで反革命的とレッテルを貼られて処刑される。
(物語のベルナールは革命を生き延びた後アランと共にナポレオン暗殺に失敗して銃殺されちゃうんだけど)
そういった史実をどこまで踏まえたセリフなのかは不明だけど、でも制作側はフランス革命の作品を作るとしたら、最低このくらいは調べるし、教養として既に知ってたかもしれない。
この点に関しては、つぶやきにも前に書いたけど、まだ「政治の季節」の空気が色濃く残っていた70年代という時代の影響もあるだろうとは感じる。
アニオリでアランが田舎で農業やってる結末も、あの頃、活動家上りが就農して有機農法始めるって結構あったし、ね。
成田なんかは空港建設反対の住民と学生運動やってた活動家が一緒に反対運動してるうちに農家に婿入りして、今成田で有機農業とかやってるのはその二代目とか聞いたことあるし、群馬のつま恋出身の知り合いがいるけど、実家の奥の方に超左翼(って言ってた)の人たちが移住してきた集落があるとか言ってたし。
(「お前はまだ群馬を知らない」の嬬恋村のきゃべつ爆弾ネタはノンフィクションなのか?とあれ読んだ時突っ込んだよ( ;∀;)
映画版は尺の関係で首飾り事件、黒い騎士編、という平民と関わる物語をカットしていたし、平民ヒロインのロザリーも一瞬しか出なかったから、もしテレビシリーズになったら
令和の時代に民衆をどう描くのか、結構興味深い。「ベルばら」は単なるキラキラの宮廷ロマンスだけではないからね。
 池田理代子先生が「ベルばら」を描いたのは24歳の時で、24歳という若さであれだけの傑作を描いたのはすごい!と言われるし、確かにすごいけど、24歳だったから描けたのだとも思うのね。
先生自身が学生運動経験者で、父親を「体制の犬」と罵って仕送りを断ってバイトしながら学生生活を送りつつ、ヘルメット被ってゲバ棒で殴られたこともあって、でも、一方で学生集会に赤いパンタロンスーツを着て行ったら「ブルジョア的である」とか批判されて、そういうことが重なって運動自体に疑問も持ってなんてインタビュー読んだことあってね。
これは個人の感想なんだけど、私はずっと「ベルばら」は池田先生の総括だと思ってる。
だからこそ、オスカルはバスチーユ陥落という革命が一番美しかったあの時点で死ななければならかなった。

 ただ、映画版を観た後、旧アニメ版の終盤、特にオスカルの最後のシーンを見て
「あれ?こんなにあっけなかったけ?」
って驚いた。アニメ観てた時は原作も含めて脳内補完してしまっていたのか、映画版のバスチーユのシーンは見事だったから比べてしまうと革命の群像劇にした分、オスカルも群像の一人になってしまったように思えた。
 そこだけに限らず、旧アニメ版のオスカルは、当時はあまり感じなかったけど、今見るとちょっとモニョる描かれ方をしてる部分はある。
 総じてオスカルが女性であるという事を、制作側が意識しすぎてるような部分があちらこちらに。
 最初の方でアントワネットの輿入れの際に近衛の隊長に任じられる話がある、そこでオスカルが迷うのね、それは正式に軍人になることはこの先「男としての人生」を選択することを決意せねばならない事に対する迷いなんだけど、その時、なぜかアンドレがオスカルを殴ってその後二人の殴り合いになって、なんとなくすっきりして任を受けるという。
これって6−70年代の少年漫画のお約束「殴りあってワッハッハー」パターンで、私の年齢位だと飽きるほど見た「眼鏡を取ったら美人」とか「遅刻しそうになった朝、角でぶつかった相手が転校生」とかの定型の一つで。多分、アンドレが迷うオスカルをあえて男として接して、それによってオスカルは決意を固める、みたいなこと言いたかったんかもしれないけど。
この「殴りあってワッハッハー」って「エースをねらえ」でもあったけどさ、今冷静に考えると、何の解決にもならないのに、なんで殴りあうんだろ?つか、男子だってそうそう殴り合いの喧嘩ってヤンキーでもなきゃするか?殴り合いにまでなったら、もうその後は決裂するんじゃなのか?
大人になって冷静に考えると、昔の漫画っておかしなことは沢山あるのであった。
 ちょ、話ずれたけど、原作ではオスカルは別に最初に近衛の任を受けることに対してなんも言って無いんだよね。
初期のオスカルは男として生きる事、軍人として働くことをナチュラルに受け入れてる。だからこそばあやが「オスカルお嬢様」と呼びドレスを着せようとしても、そんなチャラチャラした格好出来るか、ってばっさり切り捨ててる。
オスカルが女としての自分に苦しむのはフェルゼンに恋をしてしまったことから、でしょ。フェルゼンは最初オスカルを男だと思ったし、女と知ってからも、もうアントワネットさまの事しか心に無いから、もう完全な片思い。
男にも女にもモてまくりのオスカルだけど、恋愛にはすごくうぶだったんですよ、っていうと、なんか軽いけど。
で、旧アニメ版だけど、オスカルが近衛を辞めて衛兵隊に行く動機が、原作では黒い騎士ことベルナールに「王宮の飾り人形」と言われたことで自分の立ち位置を考えてだったけど、アニメだとフェルゼンへの想いを断ち切るために、あえてより男男した環境に身を置き男っぽく生きよう、それによってフェルゼンを忘れようとするわけよ。
いやいや、あれだけ革命史観をきちんと描いてるのに、それ?と。
オスカルの女としての悩みはフェルゼンに恋しちゃった、それだけで充分なの。これただの公私混同じゃね。オスカルさまはそんな人じゃないわ〜とか思うんですが。
ただ、これって時代を考えると仕方ないのかな。
当時は雇用均等法が施行されるはるか前で、花束貰って結婚退職〜か、仕事に生きるなら生涯独身か、という時代だったからね、アニメ業界も作画スタッフには女性もいたけど、監督演出作監といった主要のスタッフは男性が占めていたし、そういう男社会で
「女でありながら男として生きる葛藤」を描くのは女の部分をより強く出さないと見る側より作る側が理解できなかったのかも。
 映画だけを観た若い層の「オスカルのように自由に生きたい」という感想にリアル世代が「え?」と驚いてたけど、確かに映画版ではオスカルの「女としての葛藤や苦悩」が殆ど見えなかった。
 これは、時代の変化なのか、尺の都合なのか?
フェルゼンへの恋心もさらっと触れてはいたものの、諦めるためにドレスを着て踊る名シーンは歌の背景でちらっとしか出なかったから。
ただ、それに関しては、ジェローデルのプロポーズによってアンドレへの恋心を確信するまでの間が映画だと身近過ぎるから、フェルゼンに脈が無いとみてさっさと乗り換えるみたいになっちゃうから、これはテレビシリーズに期待したい。
って、もう脳内ではテレビシリーズ確定してるよ、私(^_^.)







8 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年03月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記