小倉智昭さんに相談「結婚して離婚したり、また結婚する時に」フジ女性アナが送られたエール回想
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今日のフジテレビの「ワイドナショー」で、小倉智昭の訃報を佐々木恭子アナウンサーが報じる際、感極まって涙ぐみ、途切れ途切れになりながらでした。「とくダネ」の初期、MCを務めた小倉智昭の横でサブMCを務めていた縁もあり、プライベートでも何でも相談していた相手だったことで「スゴい喪失感」とコメントしていました。ワイドナショーのMCである東野幸治が「フジテレビのお父さん、って感じですよね」と言って振ると、「スゴい喪失感で、ね、これから誰に相談しようかな、って」と感情を込め、「東野さん、相談に乗ってくれますか」とかえし、東野幸治がかぶせるように「そういう器じゃない。いろんな相談されたんですか?」と掘り下げ、佐々木恭子アナウンサーが「スゴい相談して、いろんなことがあったので…結婚して離婚したり、また結婚するときにも、いつも相談にのってもらって、いつも『胸張って生きなさい』って背中を押してもらいましたね」と語ったと言う一言一句ですが、その訃報があって以降「面倒見の良さ」や「相手の身になってくれる」と言うエピソードが数多く紹介されているのを聞くに、かなりの苦労人だったから、多くの人に慕われていたのだなと感じます。
昭和51年に東京12チャンネル(テレ東の前身)を辞め、大橋巨泉の事務所に入ってはみたものの、「フリーアナウンサー」なる職業としての概念がなかった当時の放送業界では活躍の場は限られ、生活に困窮する状況が続いていたと言われていた中、昭和58年にMBS(毎日放送)で放送を開始した大橋巨泉MCの「世界まるごとHOWマッチ」の出題のナレーションで脚光を浴び、文化放送の朝や昼などの帯ワイドのラジオパーソナリティとして人気を博す存在となりました。そうなるまでに8年を要し、離婚と再婚も経験、36歳にしてその仕事で脚光を浴びる存在になったと言うのが“苦労人”ストーリーだった訳で、大学卒業の学年に受けた入社試験で不採用となったフジテレビでは平成4年から「ジョーダンじゃない!?」、「どうーなってるの?!」と言った昼前の帯ワイドを経て、平成11年に一つ前の時間帯(朝の8時00分開始)の「とくダネ」のMCに就任。これを22年務め、「フジテレビのお父さん」と称されるほどとなった次第。
大橋巨泉の事務所にいたため、様々な側面で大橋巨泉の流儀を継いだ側面を随所に感じられ、「フリーアナウンサー」と言うより「司会者」のイメージが強い人でしたが、「フリーアナウンサー」なる職業としての概念の無かった時代にその概念を切り開いたのが小倉智昭の“功績”なのかもしれません。改めて合掌。
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