【その後の鎌倉殿の13人】鎌倉時代にもあった早期退職!辞めたいという人に北条泰時が言い放った一言とは
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/34303b470fc8b562b20818a70029d294a7494b97
鎌倉殿から1年以上も経つけれど、未だに鎌倉の歴史コラムはポツポツと見られる。「光る」がネタにしづらいのもあるだろうけれど、やはりまだまだ鎌倉について語り足りないのだろうなと。面白エピソードの宝庫、鎌倉。
今回のこれは結城朝光が評定衆を2ヶ月程度で辞めてしまったエピソードの紹介。筆者は入社数ヶ月で辞める新入社員と比定しているのだけれども、朝光は泰時よりも一回り年上で、当時の幕府ではそろそろ長老格と言ってもいい存在。それを新入社員と比定するというのは、あまりピンとこない話だよなと。
評定衆の初期メンは中原師員(大江広元・中原親能兄弟の同族で、九条頼経と共に下向)を筆頭とする11人。そこからさらに4人追加されて15人。追加メンバー2号だった土屋宗光(土肥実平の甥で九条頼経に近い)が死去し、その補充メンバーとして選ばれたのが結城朝光。
大恩ある寒川尼の実子ということで、頼朝から可愛がられた朝光。ただでさえ自尊心が高い鎌倉武士の中でも、特に自尊心が高いキャラへと成長。準一門筆頭にして北条家の縁戚として権力を誇った足利にすら、席次を巡って食って掛かるほど。
そんな朝光なので、文官や摂家将軍近臣が幅利かせる評定衆に耐えられなかったとしても、あまり不思議ではないように思う。若い連中にガツンと言ってやると登庁したものの、特に大した意見も出せないまま蚊帳の外に置かれたことに気分を害した とかだったのかもしれない。
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